いろんな方達のブログで過敏なものへの対処に困っている、と言った記事を最近、目にします。そこで、私の「聴覚過敏」と、のび太の「視覚優位」について考えてみました。確かに多数派の人でも、○○の音は苦手、とかニオイに敏感で・・・ということは誰にでもあることだと思いますがそれが「発達障害」である私たちだとさらに苦痛なほど耐えられなかったり、ツライ余り、生活に支障をきたしたり・・・と、様々な弊害があります。以前、記事にもしましたが私は聴覚過敏です。以前の記事はこちら↓聴覚過敏について①聴覚過敏について②私が一番つらいのは、おそらく他の人には聞こえないであろうすべて?の音を聞き取ってしまい、本来、聞き取りたい音と同じくらいの音量で響いてしまうために聞きたい音がきちんと聞き取れないと言うこと。例えば、街中で友達とばったり会って話していても町の雑踏や車の音や他の人の話し声も友達の声と同じくらいの音量で聞こえてしまい、友達の会話が聞き取れないのです。車の中で小さいボリュームでラジオを付けていて隣でのび太に話しかけられてもラジオの音とのび太の声、外の雑踏、車のエンジン音、全部、同じくらいの音量で聞こえてしまってのび太の言葉が聞き取れなかったり。上記の記事を書いたときには私自身、まだ診断されていませんでしたので、辛かったのですが、発達障害と診断されて自分を知っていくことで過敏な部分とうまく折り合いを付けて生きていくしかない、と、開き直っています。私自身が診断をされた時に、主治医に聞いた話によると・・・多数派の人間は耳に入ってきた音を「ふるい」にかけて必要な音だけを聞き取れるように脳内で処理するのだが、その「ふるい」の処理がうまく出来ないと私のようにたくさんの音を脳内に取り込んでしまう。必要な音に集中しても「ふるい」の機能がうまく出来ていない、と言うことなのだそうです。これは耳鼻科的な疾患ではなくてあくまでも脳内の処理能力?の問題らしくてまあ、仕方ないことなのだそうでして・・・ちなみに私は絶対音感を持っていますが楽器の音、歌声、チャイムや時報などは全て「ドレミ・・・」で聞こえます。某著名なバイオリニストや音楽家の方などで鳥の鳴き声や風の音まで「ドレミ」で聞こえる・・・と言う方もいらっしゃいますが、私はそこまでではありません。耳で聞いたことは大抵、覚えていました。小中学校の時は授業中に聞いた先生の言葉は一字一句、ちゃんと覚えていましたので、テスト勉強もしたことも無かったのですがそこそこの点数が取れていたのはやはり「聴覚過敏」というか「聴覚優位」の賜物だったのでしょう。その代わり、教室のざわめきや音楽室での雑音が吐き気がするほど嫌で、でも、自分だけ嫌だ、というのはきっとおかしいんだ、と思っていたので言い出せず、辛かった記憶があります。絶対音感もありピアノも習っていて音楽が好きだったのですが授業の音楽が嫌いで成績も特別よくなかったのはそれが原因だったのかもしれません。しかし、中学生になった私は自己改革をしようとしていました。自分の意見を言える様に、嫌なことは嫌だと、間違っていることは間違っていると主張していこう、強い自分になりたい!そう意識していくうちに小学生の時は何かあるたびに自家中毒や自律神経失調症状態だったのがいつの間にか改善されていきました。気が付くと、「聴覚過敏」で教室の騒ぎに吐き気をもよおしすようなことが無くなっていました。そして、気が付くと「聴覚優位」だったはずの私は授業を聞いただけではいい点数は取れなくなっていきました(爆笑)もちろん、今でも過去記事に書いたように他の人には聞こえない音が聞こえたり地震の数分前に「地震の響き?」を聞き取ったりしていますが「不快さ」は幼い時よりは確実に少なくなっています。人間ってすごいですね。今、コンクールで優勝して話題の全盲のピアニストの方も全盲で使われない分の脳や神経がきっと聴力や音楽的才能の方に発達しているのかもしれません。ハンデのある方で別の分野で才能のある方が多いのはきっとそういう理由もあるんじゃないでしょうか。つまり私も(おそらく)発達障害の症状からの自律神経失調症だったものを克服しようとしたことから「聴覚優位」だった能力は薄れてきたのではないでしょうか?ちなみに・・・絶対音感はいまも健在です。そして、お店や外で会話するのも苦手です(笑)注)・・・私は脳の事に関しても調べたわけではなく、 あくまで私も推測です。 医学的、科学的に間違っていたらあしからず・・・(笑)次回、のび太の視覚優位について考えます。