~~~「いじわる」ということ~~~◎きまりややくそくで、きんしされていることを むりにさせられるとき。◎いやだ、と おもうことを、のび太だけがさせられるとき。◎ともだちがなんにんかで、のび太をみて、 ないしょばなしをしたり、わらっているとき。◎「○○(せんせい、ともだち、おかあさん、など)には言わないで と、いやなことやわるいことをさせられるとき。こういうことをするともだちは、いいともだちではない。こういうことになったら、すぐ、そのばをはなれて、せんせい、おとうさん、おかあさんにそうだんすること。いいともだちは、のび太がこまることや、いやがることはしない。かなり前の過去記事でも書きましたが、「のび太のルールブック」と題した、のび太専用のソーシャルストーリーを書いたものがあります。幼稚園から小学校低学年の頃、うまく友達と関われなくて、自分勝手な気持ちを友達に押し付けたり、逆に相手の意図が理解できず、悲しい思いをしたり・・・そんな繰り返しだったので、トラブルやパニックがあるたびに、この「のび太のルールブック」で言い聞かせたものでした。視覚優位ののび太にとっては言葉で「~~なんだよ」「~~してはだめだよ」と言われるより文字で見せられる事のほうが理解しやすいため、とても重宝しました。常にのび太がリビングで座る場所からすぐ手に取れるように国語辞典、漢和辞典などと一緒に置いて、時々、暇な時にも、パラパラ見ていたのび太。しかし、高学年になるに連れてのび太もルールブックを見ることもなくなり、私も何かあってもルールブックを活用することもなくなっていたのですが、先日、ふと、久しぶりに「のび太のルールブック」を眺めていたのび太・・・「やっぱり、ボクっていろんなイジワルされていたんだな。 だって、これ読んだら忘れていた嫌なこと いろいろ思い出しちゃった」と、つぶやいて、上記のページを指しました。「そのときは、みんな笑ってるから イジワルされているって感じなくて でも、嫌なんだけどどうしたらいいかわかんなかったことって いっぱいあったんだなあ」ちょっと涙目でのび太は言った。私はものすごく胸が痛かった。のび太のために書いたルールブックで過ぎた出来事を思い起こして「ああ、あの時、いじめられていたのか」と、今、改めて傷ついているのび太。「お母さんもそうなんだよね。 嫌なこと言われているのに気づかなくて ずーっと後になってから『あ、あれって嫌がらせだった?』 って気づいたりして、頭にきたりするんだよね。」「何だか悔しい!すぐ気づかないなんて!」「そうだよね、悔しいよね。 でも、だからって今頃仕返ししたりしちゃダメだからね。 みんな謝ってくれて今はそういうこと、無いんでしょ? 4年生の時のことは、もう、『終わったこと』にしてしまって 嫌なことは忘れるようにしようよ。」「そんなこと、出来ないよ!!!」「例えばさ、4年生の時の嫌なことを思い出す時 必ず、みんなが謝ってくれたことも一緒に思い出してみて。 先生に『よく我慢して休まず学校に来ましたね』って 言われたことも思い出すんだよ。 そうすれば、嫌だったことが半分くらいになるんじゃない?」「~~~~~謝ってくれたことも一緒に思い出しても それ以上にいじめられたことの方が大きすぎるぅぅぅ~~~!」のび太にはまだ、嫌だったことを思い出しても許せるほどの経験値はないだろう。仕方ないよね。だけど、きっと、のび太の中で無駄にはならない経験だたっと思う。私はいじめのことを思い出しても大きなパニックを起こさず我慢できた事の方がスゴイ!と感心してしまった。(まあ、多少・・・軽く・・・いえ、結構フラッシュバックでしたが)辛いけど、生きるということは、こんなことの繰り返し、何度も繰り返すうちに、自分の気持ちの中で折り合いを付けなければいけないポイントが見つかるのかもしれない。・・・という、私は、まったく折り合いのポイントが掴めず、自分の中で真っ黒いモノがグルグ~ル渦巻いてるけどね(汗)注)・・ソーシャルストーリーについては何度か講座も受けましたがこの、「のび太のルールブック」は正式なソーシャルストーリーとは言えないものかも知れません。もし、作られる方は「ソーシャルストーリーブック」キャロル・グレイ著を、検索して参考にして作られることをお薦めします。