今年のウイーンフィルのニューイヤーコンサートはバレンボイムが指揮していた。アンコールでハイドンの交響曲「告別」の第4楽章、演奏者が次々に消えていくという趣向を映像で初めて観た。第二バイオリンの主席以外オーケストラに全員立ち去られしまうわけだが、指揮者バレンボイムのコミカルにおろおろしてみせる芸風が上品で微笑ましかった。その後の指揮者の挨拶で、バレンボイムは「中東に正義が実現されますように」と言った。人間の正義、だったかな。普遍的な正義、だったかな。正義に何か修飾語が付いていたと思うが忘れた。正義の具体的な内容はむろん述べられなかった。でも、たぶんにそれは、ハマス殲滅とか、パレスチナ民族浄化とか、ガザ焦土化とかいった野蛮な内容ではないはずだと思った。聴衆が、冷めず引かず、さりとて狂信的熱狂的でもなくの、プレーンに盛大な拍手で彼の挨拶に答えたのが印象的だった。あの場で彼があの挨拶をするのが、聴衆にとっても自然なことだったのだろうと思った。今日NICUで仕事をしながら、ふと、この二つの演出は一連のものだったのかなと初めて思った。聞く人によってはちくりと胸に刺さるだろうことを言う前に、ボケ役を自ら演じて見せたのかなと。シャイな人なのだろうか。多分に、そういう挨拶をしたとて、バレンボイム万歳みたいな個人崇拝がわき起こるのは潔しとしない人なんじゃないかと思った。これを機会にもう一度中東の行く末を考えてみようよと言う機運が起こるのは歓迎だろうけれど、これを機会にバレンボイムの演奏を聴いてみようと思った人に推薦するCD10枚なんてお話は勘弁してくださいというような人なんじゃないかなと。まあ勝手な理想化かも知れないが。その後にエルサレム賞のごたごたが続いた。「社会における個人の自由」を描いた作家に送られる賞なら何故にさいとうたかを氏じゃないんだと思った。彼はちと彼国の防諜機関を敵役にしすぎたのかもしれない。