息子が自閉症だということで、自閉症についてあれこれ勉強するにつけ、自分にも当てはまることがいろいろあるような気がしているわけですが。とくにコミュニケーションについては、周りのみんなが共有しているコミュニケーションに関わる感覚が自分には決定的に欠如しているような気が、以前からしていましたので。化学者のドルトンは全色盲だったと言いますが、化学者なりの分析力で、世の中の人には色彩感覚という自分には分からない知覚があるらしいと述べています。同様に、自分にもまた何らか欠落した感覚があるらしいと思っています。なんだかんだで自分を自閉症スペクトラムのどこかにある人なんだろうなと思っているわけですが、自己診断ばかりで児童精神科の予約はとらずにおります。そもそも予約が一杯で割り込む余地がないのですが、もし仮に精神科受診の機会があるとしてもあんまり気が進みません。今さら正式な診断を得てなにか嬉しいかというと、ただの変人がお墨付きの変人になる程度でしかなさそうなので。正式な診断は頂かなくとも、NICUの看護師さんは継続処方するべき薬の一覧をメモに書いてくれるし、私の仕事に割り込むときは無闇に気を遣ってくれるし。それに、まあ、医学生は新しい病気について学ぶたびに自分もその病気じゃないかと一度は疑うわけでして。夕方にくたびれたら重症筋無力症ではないかと思い、手が震えると思えばまた・・・。そういう愚かしい水準のお話なのかも知れません。まあ、自分に当てはまるところがあるからと言って、息子が置かれた苦境を容易く理解できるなどと考えるような油断はしないようにしようと思ってます。でも私みたいな人は多いんだろうなと思います。でなけりゃGTDがあんなに売れるわけがないと。あれは全くTEACCHで言う構造化の手法そのものではないかと思いますので。「しかし現在、私たちの多くにとって、自分のプロジェクトのほとんどには仕切りがありません。」(@デビッド・アレン「仕事を成し遂げる技術」はまの出版)ええと、これはショプラー先生の御言葉でしょうかそれともメジボフ先生でしょうか。仕事の終わりを明瞭にするってのは構造化の基本のきですよね。たしか。