If I could draw a picture

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Nice!

自分がまさにそうであるから説明も納得も自己完結出来るのだが、絵の才能というのは面白い程にはっきりしている。字を書くのが下手なのと似ているが、どうにも指先のコントロールがうまくゆかない。僕の字や絵は人から見ると信じられないくらい下手なようだ。ニューヨークに来たばかりの頃、日本人の友達と飲み会をしているときにテーマを決めて何枚かの絵を描いた事があったのだが、それは人を心底笑わせるのに充分な程に下手なようだった。先日、ベンの机を片付けていると何だかイラストめいたものが描いてあるノートを発見。よく見ると、上手に模倣した「ちびまる子ちゃん」だ。「あ、上手く描けてるな。息子とはいえ自分には無い才能があるものだな」と思いながら、自閉症の診断が出た当時に病院で言われたファイン・モータースキルの事を思い出した。「細かい手先の作業は難しいでしょう」との事だったので、あまり無理強いすることなく自由にさせていたのだが、めちゃくちゃでばらばらの大きさのアルファベットを書いていたベンは、不思議な字ではあるものの、少しずつ形を成してゆく。絵も同様に、訳のわからないものから次第に形やディテールを描くようになって、特に形にはかなり丁寧にこだわりを持ってゆくようになり、お気に入りのマンハッタンの摩天楼は必ずと言っていい程登場していた。特に練習をしたわけでは無いのだが、2年程前、学校での保護者面談の時に「ベンはスクリプトが好きなんですよ」と言われてベンの書き取り帳を見せて頂き、筆記体の完成度に驚かされたことがあった。それは、小学校低学年の頃から始まった、ロボットのような角張った字からは想像もできないような美しい曲線で綴られていたからだ。僕らには一度も書いてみせてくれなかった筆記体。学校では模倣することが楽しみだったのだろう。そして知らないうちにそのテクニックと絵が結びついたのだろうか。コンピューターの映像を見ながら、何やらノートに描いていることが多くなったのも確かあの頃だった。テストも入学試験もないベンはそういった目に見える勉強の仕方をしているわけではないので、出来た、出来ないの世界で生きてない。ただ、じわりじわりと身につけてゆく職人のような能力こそが、彼らの底力であり、あるとき目に見えるものなのだということを最近特に実感させられるのだ。僕はといえば、子供の頃から音を真似する事は簡単に出来たのだったが、絵は今も真似をすることさえも出来ずにいる。