ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

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Nice!

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく (講談社文庫 あ 105-1)ランス・アームストロング / / 講談社ISBN : 406276086Xさいきん読むことが多いのは自転車の本と、辺境の本。とにかくどこかへ逃げ出したい一心の読書傾向である。それが皮肉にも、「タフさ」とは何か、という問題を考えさせられるような本によく行き当たるようになった。タフさを要求されないところへ逃げ出したいと思ってるようだけど、逃げ出す先として君があこがれるようなところは今以上にタフさを要求する場所だから勘違いしないようにねと、アマゾンドットコムに宿る神様が仰ってるんだろうと思う。本書は自転車つながりの一冊。ランス・アームストロングはアメリカの人。自転車ロードレースのプロ選手で、将来を嘱望された若手時代に精巣腫瘍で闘病生活を余儀なくされたが、復活したうえツール・ド・フランス7連覇という偉業を成し遂げた人。もっとも本人は癌から生還したことのほうを名誉に思っているらしい。まだ競技の部分の描写がぴんとくるほど自転車競技には詳しくないので、読んだときにも闘病記としての要素ばかりが目に付いた。初診から手術までの迅速さはエレガント(「大学への数学」誌における用法で)のひとことに尽きたが、お粗末な医療保険はもうほとんど米国医療のお約束である。ちょうどチームの移籍時期で、彼は無保険状態だった。家屋敷も高級車も全部売り払って一文無しになるところを、スポンサー企業の社長が、銭を出さないとうちの社員の保険をぜんぶ引き上げるぞと保険会社に脅しをかけて、厳密には契約外の治療費をださせる。とんだ横車である。保険会社だってこの横車をハイそうですかと押されて済ますわけもあるまい。誰かこの横車のとばっちりを引き受けた人があるはずである。うちの社員の保険をぜんぶ引き上げるぞと言ったところでハイそうですかとしか言われないような弱小企業の社長さんとか、マネジドケアで丸めてあるんだからこれ以上の治療費は払わないよといわれる病院とか。抗癌剤のブレオマイシンを使わないという選択が良い。本書では医師がそう勧めたと記載してある。この薬の副作用で肺をいためると治癒後に競技へ復帰できなくなるからだそうだ。生存率が5%とか20%とか言ってる状況で競技への復帰云々もなかろうと思うのだが、そうやって具体的な目標をかかげることで、単純な死ぬか生きるかの二分法とは次元の違ったところへ意識を集中させることを狙ったのかもしれない。副作用のない抗癌剤としての「希望」の処方というところか。それとも、これだけ予後の見込みが悪ければブレオマイシン1剤くらい加えても加えなくても大して違いはないという身も蓋もない事情だろうか。抗癌剤の副作用を延々と堪え忍ぶつらい闘病生活を思えば、復帰後のレースがどれだけ過酷でも耐えきれたとのこと。そしてツール・ド・フランスで7連覇する。彼の活躍は癌の闘病生活をおくる患者たちに、とりわけ子供たちに大きな声援となっている。声ばかりではなく、彼はチャリティ活動に積極的に取り組んでいる。ただ、その闘病生活を献身的に支えた恋人を、退院後にあっさり振ってしまう。生存するという目標は達成したが、次に何をすればいいかを見失ってしまい、かえって鬱状態になった模様。生存することより元の日常生活に復帰することのほうがよほど大変であるとのこと。なるほどそういうこともあるのかと医師としては勉強になった。そこで癌の子供たちを応援するチャリティライドを始め、その活動で次の恋人と出会い、やがてその恋人の助けを得て選手生活に復帰する。本書は復帰後の彼がツール・ド・フランスで優勝するまでを扱ってある。彼の怒濤の7連覇はそれからの話。本書ではこの二人目の恋人と結婚して、凍結してあった精子で不妊治療して子どもも授かって熱愛いっぱいである。だがネットで知った後日談によれば、この二人目の恋人ともその後に離婚しているらしい。おいおい。誰のおかげがあっての今の君だよ。こうなると勉強になったではすまない気がする。ひょっとしてこいつ単に女に汚いだけか?とまで、ちょっと思ったりして。あるいは、真面目な話、この男は恋人をロードレースチームのアシストと同列に扱ってないかと疑う。人生の各ステージでエースである彼の風よけとなり補給品を渡し周囲をかこって事故から守り云々と献身し、役目を果たしたら自身はレースを降りるアシストとして、恋人を扱ってるふうではないか。でもそれは幸せな人生か?人生ってそういうものか?なにか足りなくはないかランス君、と尋ねてみたくはある。