以前読んだ本だったか、何かの講演会で聞いた話だったか、こんな話を時々、思い出す。有名な進学校出身で偏差値の高い大学に入学した生徒。その中には信じられないほど常識を知らない若者が多すぎるらしい。「りんごは赤い」という認識のない人。 (いつも母親に皮を剥いてもらい 一口サイズに切ってもらった状態しか知らなかったらしい。 りんごを見てもそれがりんごだとは理解できなかったらしい。)大学入学で一人暮らしをしたが、トイレットペーパーがなくなってパニくり、実家の四国にいる母親にトイレットペーパーがない、と泣きながら電話して本当に母親が飛んできたらしい。 (子も子なら親も親だが・・・ トイレットペーパーはなくなったらボン!と 湧いて出てくるかのように思っていたらしい。)笑い話のような話だが実話とのこと。この話を聞いたとき、あきれて開いた口がふさがらなかったが他人事と笑っていられないのだ。のび太・・・熱帯夜と言っていいほどの暑い夜、「お母さん、今日、パジャマ、何着たらいい?」半袖半ズボンのパジャマか、長袖長ズボンのパジャマかを毎晩、聞かれる。「・・・え?のび太はどっちがいいと思う?」「わかんないよ~ねえ、どっち?」「こんなに暑いとき、長袖長ズボン、着てみる?」「あ~やっぱり半袖半ズボンだよね~」毎晩「どっちにするか聞くこと」自体がこだわりになってるかもしれないがそれにしてもこういう判断が自分でできないのだ。ある日、お皿を壊してしまった私。そのお皿は食パンを食べるとき、いつものび太が使っていたお皿だった。食パンを食べようとしたときにいつものお皿がなかった。「お母さん、食パンの時のお皿がない!」「あ~ごめんね~この前お母さん、壊しちゃったんだ~ 他のお皿、使ってくれるかな?」「えええ~?!どのお皿?」「どれでもいいよ~同じくらいの大きさのお皿、 いっぱいあるでしょう?」「あ・・・え・・・でも・・・どれにしたらいいか わかんないよ~~~(泣)」万人が「当たり前」と思うようなことですら判断できなかったり無知であったり、臨機応変に対処する、ということが難しい。私の目標は「のび太が自立した生活が出来るように育てる」ことだ。何でも一人でこなせ、ということではなく、困ったときにひとりで対処できなければ誰かに「ヘルプ」が出せるように、と言うことでもある。しかし、何でもかんでも「ヘルプ」では本人も頼られる方も辛いもの。知的な遅れのないのび太は「知らない、出来ない」ことで自己評価を下げがちだ。だからこそ、せめて常識的なことは自分で対処できるように今のうちに教えておきたい。例えば、先のトイレットペーパーの話。なくなったら下のペーパーホルダーに換えのペーパーがあるのでそれを取り付ける。そして、納戸にあるトイレットペーパーをペーパーホルダーに補充しておく。これは完璧。食器などを誤って落として壊したときは大きいかけらを拾って新聞紙などに包み、「壊れ物、ガラス」などと書いて捨てる。小さいかけらなどはガムテープなどでくっつけて取る。見逃しているかけらなどもあるかもしれないので最後に掃除機で吸い取る。これもかなり落ち着いてできるようになった。何でも私がやった方が早いしめんどくさくないんだけど、とにかく何でもやらせてみる。お風呂掃除、窓拭き、米とぎ、いり卵作りは1年生から、ロックのオシッコ、ウンチの処理、ロックの食事係り、自分達の食事の準備、食器の片付け、自分がおやつで使った食器、コップを洗う、パンツを汚してしまったときの処理、ジャガイモたまねぎにんじんの皮むきetc・・・etc・・・親の忍耐力も必要だが、かなりいろんなことが出来るようになってきた。今度はズックの洗い方を教える予定。あと、電話での受け答え・・・これはワタシが苦手なので親子で頑張らねば・・・「生きていく力」はきっと「生きる自信」に繋がるはずだから。