『”生きるための権利”として療育手帳を取っといたほうがいい。』療育手帳は『だめです』と非該当の烙印を押され、そのころはADHDって何?と相談にも乗ってもらえず「何のためにとるんですか?」と冷たく突き放された6年前の”あの日”がよみがえりました。”あの日”以来、市役所や病院からもどうしてこんな状態なのに取れないんだろうねと言われ(まあ困ってるだけでは取れないのは重々わかっているのですが)大人になってから療育手帳か精神保健福祉手帳を考えようと話し合いもう忘れかけてたときに聞いた一言でした。『療育手帳がない方ももちろんいらっしゃいますしここではきびしいのはわかっています。ですが中学・高校と大きくなって、就労・生活を考えたときに生きる権利を有するために必要となってくるものです。』ちびが、ちょっと前に言った言葉。「ぼく、おおきくなったら、なんのしごとするの?」「ぼく、おおきくなったら、どこにすむの?」その時はなんていったらいいかわからなかったし作業所やグループホームなんて到底理解できるものではない。まして結婚なんて想像もつかないしわからない。今から視野に入れておかなければいけない現実をたたきつけられました。その先生との電話が終わった後、調べました。児童相談所の電話番号を。そして、すぐ電話をかけました。すみません、療育手帳を取りたいのですが・・・・すると「何のためにとるんですか?」すかさず進学のためですと答えました。