アイ ノ カタチ

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Nice!

先週、サバン症候群の3人の方をクローズアップした番組、見た方も多いと思います。私も旦那といろんなことを思い出しながら釘付けになって見ました。いろいろ考えさせられたのは最後に紹介された、映画のモデルにもなった重度自閉症のサバンの方。毎日電話帳をチェックし、すべてを暗記。何千冊もの本を丸ごと暗記する記憶力。過去の日付から曜日を言い当てる。まるで、のび太のようでした。今でこそ、サバン的な能力は薄らいできているのび太ですが、3、4歳の頃は確かにカレンダーサバンだったのび太。今でも、一度辞書で引いた言葉は何ページにあるか、覚えているのび太。幼稚園時代に読み聞かせた本はすべて暗記していたのび太。今でも国語の本などは丸暗記です。音読の宿題も一応、教科書を開いていますが見て読んでいるわけではないのび太。テレビで紹介された彼とのび太はおそらく知能的にも差があると思うので同じように考えては間違いかもしれませんが・・・彼は父親なしでは生活できない。靴下さえも父親の手を借りなければ履けない。彼のすべてを認めて愛して、自分が彼のそばにいてあげなければ・・・親としていろんな思いで彼に寄り添って生きてきた父親はすでに80歳を超えている。テレビでは、父親のこのような愛情によって彼の驚くべき素質がはぐくまれてきた、と言った感じで終わっていたが・・・確かに、彼の親として精一杯の愛情表現がすべての彼の世話をして生きることだったかもしれないが、それが子供にとって果たして本当にいいことだったのか。親は大抵、子供より先に死ぬ。年を取れば体調も崩す。自分の子供とはいえ成人した子供の日常の世話をすべてこなすことは本当に大変なことだ。重度の自閉症だってきちんと教えれば自分の身の回りのことはできるようになる。教えることを怠ってきたことは自分が死んでから子供にツケのように回ってくるのでは?と、考えてしまう。のび太は軽度自閉症だ。軽度、というのは自閉傾向が軽い、ということではなく知的な遅れがない、ということだけだ。確かに重度と軽度では身の回りのことを教える困難さもかなり差はあるかもしれない。だけど、親としての責任は、自分がいなくても最低限のことができるように教えていくことであるのかもしれない。療育に通っていた頃、重度の身障で(車椅子でした)知的にも障害の重い子のお母さんが話していた言葉が印象的で忘れられません。「いずれ、この子は施設に入ってしまうかも知れない。私たちと一緒に生活できる時間は限られているかもしれない。自由に動けないし、意思を伝えることも難しいけど、せめて『ありがとう』という言葉の使い方だけでも教えてあげなくちゃ、と思っている。だって、この子は絶対に人の手を借りなければ生きていけない。その時に『ありがとう』と感謝を表現できるように・・」いろんな人がいる。だからいろんな気持ちがあって いい。子供への愛情表現だって人それぞれでいい。だけど、親の満足や、親の気持ちばかりを子供に押し付けていたら、それが愛情だとしても、いつか歪んでくる。いろんな愛の形があって いい。だけど、子供主体でなければ子供は親と向かい合っていても、気持ちは孤独なままだと思う。