誰だって寄り添って欲しいから

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Nice!

今でこそ、のび太と会話が出来るようになり、ちょっとしたことも、自分で乗り越えようとする意欲がちょっぴり垣間見られる?のび太。幼稚園時代はほとんど会話にならず、宇宙人か野生動物を育てているような気分だったのが信じられないくらいです。あの頃を思うと、今でも涙が出ることがあります。普段は笑顔(のつもり)で頑張っていても、時々は、グチも言いたくなります。思わずふと、弱音を吐き出したくもなります。そんな時、「どんな子を育てていても親の気持ちは同じよ」「子供なんてどこの子供もそんなものよ」・・・と、言われてムカついた記憶はきっと、ここにいらっしゃる方、一度は経験されているはず。「アンタ、障害児を育てたこともないくせに、 簡単に『同じ』なんて言うなっ!」「どこの子も同じ? どーせアンタはデパートでパニくる子供を 泣きながら引きずって帰ったこともないくせに、 簡単にひとまとめにしないでよっ!」」こんなときは心の中で悪態ついて、毒吐きまくっていたワタシ。いえ、こういう言葉で私たちはどんどん追いつめられていきます。余談ですが・・・スゴイ人では、「私の知ってる○さんの子供も自閉症で ナントカっていう治療をしたら治ったって言ってたよ」などと言う???なことを得意げに述べる人もいたな・・・じゃあ、私は、なんて言って欲しくて愚痴ってるんだろう?「うんうん。大変だね。うん。」ただ、私のグチに相槌を打って聞いてくれた友人Yちゃんがいます。そして、「でも、のび太といると楽しいよ。私もM(友人の娘)も。」この言葉が、何よりの支えでした。Mちゃんとのび太は1歳から毎日のように遊んでいた。独特の世界の中に生きるのび太、突然、意味の分からないことでパニくるのび太、自分勝手で遊びのルールがわからなかったのび太、きっと、Yちゃんも娘のMちゃんも、のび太の行動にカチンと来たこともあったはず。だけど、障害ゆえの独特な行動も「面白い!」「ユニーク!」「いい味出してる!」と、すべてポジティブにとらえて誉めてくれた人。そうだよね。やっぱり私たちは、ありのままの姿を認めて欲しいんだ。決して、「大丈夫」とか「誰でも同じ」とか、気休めのような慰めが欲しかったわけじゃない。だから、私は誰かに相談事やグチを聞かされても決して「大丈夫」なんていい加減なことは言わないことにしている。相手の気持ちに寄り添うこと自分が相手の立場だったら・・・を想像すること確実なアドバイスが出来ないなら、無理に言葉をかけないこれを肝に銘じている。☆〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜☆障害のある子を育てる親に対しコメントを下さる方、医学的な立証のないこと、独自の精神論の押し付け、〜しなければいけない、〜してはいけない、と言うようなコメント逆に迷惑です。私たち親をますます追い詰めるだけです。ただでさえ、周りからの目線や言葉に神経質にならざるを得なくて自分を責めてしまいがちです。私たちは子供が診断されてから、たくさん勉強してきたつもりです。そして、自分の子供については親が一番知っていると自負しています。実際に私たちの子を知らない方からの「押し付けコメント」はご遠慮したいそう思っています。