くうは療育センターで TEECHプログラムに出会った。視覚優位なくうにとって、それは混沌とした世界の中で見えたはじめてのルールだったたと思う。決められた場所で、シンボルや絵カードにそって自分のするべきことを行う。今まで、あいまいだったことが TEECHによってはっきりとわかるようになったのだ。そして、同時に自分の要求も伝えられるようになった。クレーンと呼ばれる手引きでその場所へ連れて行ったりでしか、自分の要求を表せなかったのが、食べたいもの、行きたいところ、今したいことなどが、選べるようになったのである。それが学校に行くようになり、今マカトン法を教えられるようになった。マカトン法とは、表出言語がない子どもに有効だとされている手話のようなものである。絵カードには限界がある。何もなくても動作だけでわかるマカトン法のほうが、 TEECHより有効ではないか・・・というのが、はっきり説明はされないが、教育方針の1つとしてあるらしい。確かに絵カードには限界がある。物事の全てを絵カードにすることはできないし、今手元になければそれは意味がない。 TEECHが合わない子もいるだろう。けれどマカトン法はくうに合っているのか?いままで通じた要求、不安を取り除いてくれたカードがない。それも新しい環境で突然に。目からの情報でしか、状況を把握できない子にとって、それは酷ではないだろうか?今また混沌とした世界になった教室で、くうは必死に手がかりを探す。わずかに提示された絵カードやまわりの人の動作が唯一の手がかりだ。家でも手引き=クレーンが現れてきてしまった。療育とはいったいなんなのだろう。障害もひとりひとり違うのだから、療育方法を選択することはできないのだろうか?私たち親はいつも子どもの幸せを願う。子どもの療育方法をもっと真剣に先生と、学校と話し合いたい。