言葉と言うものは、怖い。・・・と、ずーっと思って生きてきた。小さいころから、私の言葉の使い方は人の気持ちを思いやっていない、と、母に言われて叱られて育った。言葉遣いが悪いのではなく、どうやら自分のことしか考えていない、人の気持ちを踏みにじるようなものの言い方だということらしい。ぜんぜん、そんなつもりもないのに、しょっちゅう叱られた。そして、だんだん、親の前では話をするのも辛くなっていった。のび太と会話が出来るようになって、のび太が真剣に言葉を選んで話す姿に感動することがある。たどたどしく、文法的にはおかしな言葉遣いでも、真剣に表現しようとするのび太は、カッコいい、とさえ思う。ブログを始めて、たくさんのコメントでいただいた「言葉」に励まされてきた。いつの日か、このブログを見るだろうのび太にも、きっと心強く生きる力になると信じている。最近、他の方のサイトのコメントを見ると、私に向けられた言葉じゃないのに、読んでいてショックを受けたり、驚いたり、悲しくなったりすることがある。私の感じ方と同じようにショックを受けて、記事にしたりコメントで反論されたりする方もいらっしゃるけど、ドキッとするほど何気なく受け止めて、さらりと交わすコメントをかかれる方もいらっしゃって感心する。そうか・・・そんな風に交わせばいいのか・・・などと、いろいろ思うのだ。私も今まで、記事に対する批判や中傷めいたコメントなどで、傷ついたことも何度もあった。そして傷つけてしまったことも。そのたびにまともに受け止めて、苦しくなってパソコンに向かうと手が震えたり、吐いたり、パニックになったりしていた。自閉症関係のサイトでは、言葉の表面的なものだけをとらえたり、ぶっきらぼうな表現で誤解を受けたり、自分勝手な解釈やあからさまな中傷で荒れたり・・・ということは、よくあるようだ。それは、自閉症という障害の症状ゆえのこともあるだろうし、世間的に自閉症と言うものの無理解ということもあるだろう。本当に難しい。今朝、のび太とこんな会話をした。道具を準備していたのび太に、「上履き、ちゃんと持ってね!」と、声をかけた。「え〜?!ジャマなんだよ!」「ジャマ?!ジャマでも持っていかなきゃダメでしょ?!」「何で持たなくちゃいけないの?! ランドセルに入れたっていいでしょう?!」「!!!!!あ〜!ランドセルに入れて持っていくってことね〜 OK!OK! お母さんが言ったのは、『手に持て』ってことじゃなくて、 学校に持っていって、ってこと。 ランドセルに入れても手に持ってもどっちでもいいんだよ〜」「あ〜!なんだ。そういうことね〜! は〜!言葉って難しいなあ・・・」高機能自閉症の息子と、同じニオイのする母の会話でした。言葉って・・・難しい・・・使い方で気持ちがすれ違ったり傷付けたりもするけれど、だけど、言葉は誰かをなぐさめたり勇気付けたり優しさで包んでくれたりすごいパワーを持っている。誰かのプラスのパワーになる言葉を使える様に気を配っていきたい心からそう思う。