私は幼い時、大人の人に挨拶などできなかった。遠くから近所のおばちゃんが来るのを確認すると、わざと路地に入って違う道を通ったり、とにかく顔をあわせないようにしていた。「こんにちは」の一言が緊張のあまり???なのか、自分でもわからないが、出ない。いや、顔をあわせるのが苦手だったのかな?とにかく、大人、他人、というより、人間が苦手だった。そんな幼少期を過ごした私なので、のび太に挨拶を強要したことはない。しかし、学校では「知らない人でもすれ違う人には挨拶をしよう」と、言われているらしい。小さい子供を狙う良からぬことを考える悪い大人も、元気に挨拶されればそんな気も失せるかも・・・といった考えもあるらしいし、田舎の小さなコミュニティーの中の小学生は、その存在そのものが明るさでもある。田んぼ仕事をしているおばあちゃんも、小学生に挨拶されるとそれだけでうれしいのだ。「きまりを守る」ことがこだわりののび太。親の私も感心するほど、ちゃんと挨拶している。近所を工事している人にも「こんにちは〜」と帽子を脱いで挨拶するのび太。自分が小さいころできなかったことをいとも簡単にさらりとこなす自分の息子を見て、遠い昔の胸のつかえが取れるかのように、清清しいのび太の挨拶。愛犬ロックの散歩コースにいるワンコ。いつもロックと「ワンワンワンワン」と犬語で?毎朝、挨拶。名前も知らないので我が家ではこのワンコを「ガウガウくん」と勝手に呼んでいた。ある日、のび太がのびパパとロックの散歩に行ったときに、散歩中のガウガウくんと出会ったらしい。のび太、タタタタタ・・・と駆け出していって、「おはようございます。犬の名前、何ですか?」と聞いたらしい。おばちゃん「え?ああ、ポチです」「え?ポチ?うちの犬はロックです」ポチ、というベタな名前に思わず聞き返したのび太。というより、のびパパは知らないおばちゃんに、ちゃんと挨拶して、ぎこちないところはあるものの、真っ当な会話をしていることに驚いたらしい。またある日、のび太とのびパパはサイクリングに出かけた。車が1台通れるくらいの幅の道路。去年、自転車運転の未熟だったのび太は、田んぼに突っ込んだことがある。「車が後ろから来たり、すれ違ったりするときは、 止まって、車が通り過ぎるまで待ってなよ」という教えを守って自転車をこぐのび太。ところが不思議なことに、前から車が来て、のび太が止まり、すれ違うときに、のび太は、ぺこっと頭を下げてお辞儀をするらしい。「信号のない横断歩道や青信号でも曲がってきた車が止まってくれたときはお辞儀をして挨拶をしましょう」と、交通安全教室で教わっているらしい。それが、どう変換したのかわからないが、自分が車をやり過ごすために止まっても挨拶・・・という図式になったのび太。あまりのかわいさに、あえてのびパパも何も言わなかったらしい。挨拶されて気分の悪い人はあまりいない。以前、挨拶するのび太に感心して記事を書いたときに、「自閉症ののび太君に挨拶を強要させるなんてかわいそう。挨拶することがどれだけしんどいか、わからないでしょう」と、当事者の方からコメントをいただいたことがある。挨拶することのしんどさは、私自身が身にしみて感じています。だから強要したことはありません。のび太は昔から人懐こい。積極奇異型の典型でした。「知らない人には急に話しかけない」と、言い聞かせなければならなかったほど、知らない人に歌やダンスでアピールしたり、自分のファンタジーのストーリーで話しかけたりする子でした。それが、のび太の中で今は挨拶に変換され、むやみに話しかけないことも学習できたようです。もしかしてのび太も成長にともなって、挨拶が出来なくなる時期もあるかもしれないけどそれでもいいのだ。挨拶は出来ればしたほうがいい。子供は顔を知ってもらえるし、かわいがってもらえるし。でも、できなくたって、いい。そんな人間だっているだろうから。だけど、挨拶されたら、せめて、大人も会釈くらいしよう。しんどくたって、それくらいはできる。それは、人としてのマナーだと思う。