3月1日に大阪で開かれた近畿新生児研究会へ行ってきた。病棟で急変があったりして病院を出るのが3時過ぎになり、4時半ころ会場に到着した。会場は都島なのに京阪を間違って京橋で降りてしまって地下鉄を遠回りするはめになり、それもまた遅れる原因になった。慢性肺疾患の演題をほぼすべて聞き損ね、母乳関連の演題をもっぱら拝聴してきた。とくに岡山医療センターの山内先生の講演は、これまで伺った母乳関連の講演の中でも白眉であった。お母さんに対しても赤ちゃんに対しても押しつけがましくないケアがだいじ、と私は教訓を得たのだが理解が浅いだろうか。赤ちゃんは生まれてすぐにお母さんの乳首を匂いを頼りに探して吸い付く力をもっているのだけど、かといってこちらが無理矢理にくわえさせようとしても赤ちゃんは怒るだけ、とか。お母さんイコール聖母と決めうってのケアは良くないよとも。今までの自分のイメージとして、母乳育児を提唱する運動って、清く正しく美しくあることを強制されるお母さんや赤ちゃんに対する「上から目線」のご指導って感じで、なんだか国防婦人会みたいでいやだよねと思いがちだったのだが、認識を新たにした。ただ(この「ただ」を言うから私はメインストリームに乗れないのだが)、山内先生も仰るところの、日本の母乳育児の伝統が女性の社会参加によって衰退したというのは本当なのだろうかと、そこだけ突っ込んでみたいとは思った。社会学の集まりじゃないんだからと遠慮したのだが。昔から日本の女性はおおいに働いていたはずだがね。私の田舎でも周りはみんな農業だったけど昼間に家にいるお母さんって誰もいなかったけれどもね。都会でも似たり寄ったりじゃなかったのかな。まあ田畑や職場に連れて行って哺乳するというのもありだったのだろうが、さあ、そこで行われていた母乳育児が正しいやり方だったろうか、山羊の乳を足してたとかいう話も聞いたことがあるし。三食とも米飯味噌汁漬け物なんて時代の母乳がそんな理想的な組成だったのかねとも思うし。なにさま、そんな正しい母乳育児が行われていたはずの時代の、あの悲惨な乳幼児死亡率はなんだったのかねとも思うわけで。完璧な母乳育児をみんながやっててあれじゃあ母乳ってあんまり大したことないんじゃないか? 母乳がいったん見放され人工乳が全盛となっていった時代をふりかえっても、けっしてその時代の人々が浅慮であったと決めつけることはできないと思うんだが。その時代にはその時代のやむにやまれぬ思いがあったのだろうし。そりゃまあ反省と軌道修正は決して悪い事じゃないんだが、先人に対して礼を欠かないようには気をつけるべきなんじゃないかな。