「やればできる子」と言われ続けた母は・・・

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Nice!

「やればできる子なのに・・・」

と、言われ続けてウン十年・・・

中学高校の私は、何かと言えば「やればできる子なのに・・・」
と、親や教師から言われ続けてきた。

「やればできる子」っていう言葉、おかしくないですか?

誰だって、頑張ってやったら何でも誰でも出来るはず。
それをほめ言葉みたいな意味として使ってることが疑問。

「やってもできない子」だったらどうするんだ?!

ますますその子を追い詰めやしないか?!

それに、私が「やってみてできた」ところを見たこともないのに、
「やれば出来るのに・・・」とは、なんて自分勝手な想像でしょう。

そもそも、小学校時代の私は家で勉強などしなくても、
授業で先生の話を聞くと、先生の話がほぼ100%頭に入った。

のび太は「視覚優位」だが、私は「聴覚優位」とでも言うのでしょうか?

おまけに幼い頃の私は、この現代に存在していたら、
間違いなくのび太と同じ発達障害と言われたかもしれないほど、
当時は神経質で(過敏?)すぐに大げさに泣き(パニック?)
2歳で勝手に文字を読み、絵本も丸暗記し、
うちの親ばか両親は「天才?」と勘違いしたらしい。

おまけに小1の担任の先生が
「まっぷーさんはものすごく頭がいいです」と
親に言ったらしく、ますます親ばか度の炎に油を注いだ。

しかし、悲しいかな、私は次第に大人の目の色ばかり気にする、
単なる神経質なちょっと頭がいいだけの子に変化した。

中学校に入学の頃には、
どんなに真剣に先生の話を聞いたつもりでも、
興味のない理数系の授業なんか、何一つ頭に入ってこない。

「勉強しなければ・・・」と、思うのだが、これまで家で、
一人で勉強などした事のない私、
一体、一人で勉強ってどうすればいいのか、まったく分からん!!

おまけに嫌いな数学なんて!!!

それ以来「やればできる子」と言われつつ、
やらない子、どうやるのか分からない子のまま、
嫌いなものは絶対にやりたくない子になっていった。

のび太は出来ることと出来ないことの差が大きい。

漢字検定1級の問題は出来ても、
初めてのお菓子の袋が開けられなくてパニクる。

10÷3=3.3333・・・と解っていても、
10粒のチョコを3人に分けられなくて、泣いてしまう。

「やればできる子」は当てはまらない。
かといって、決して「やってもできない子」ではない。

どう頑張ってもやれないことも世の中にはたくさんあるし、
その子なりの「やれる可能性の幅」はそれぞれ違う。

のび太には「嫌なことは無理してやることはない」
と、言っている。

親としてはサイテーかもしれない。

「嫌なことも努力させるのが親でしょ?」
なんていわれかねない。

でも、、いいのだ。

嫌なことをイヤイヤやって無駄な時間を費やすより、
好きなこと、興味のあることを納得いくまでやったほうが、
どんなにその子にとって達成感を味わえて、
充実した時間を過ごせることか。

しかし、当ののび太は、不得意なことはやりたくないけど、
100点じゃないと気がすまないらしい。

こだわりと、不得意なこと。

親の気持ちと子の気持ち。

なかなかうまくバランスが取れないもんだね。