仕事に求めるもの

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Nice!

12月で今の仕事(翻訳アシスタント)を辞める。
9月にその旨を告げ、職場も着々とその準備に入っている。

しかし、今になってみて、辞めることが惜しまれる。

常に緊張を強いられる職場ではあるけれど、かなり慣れたし、居心地は決して悪くない。
8月の鬼のような残業があれ以来ないし、上司の愚痴を聞かされることも少なくなった。
夏頃酷かったのは、人員入れ替えと忙しい時期が重なっていたからなのだろう。
最近は18:00で帰れるし、ほどほどに暇だ。
時給は少ないけど、やっていることのレベル的にはこんなものだろうと思えるくらいだ。
これがずっと続くなら、環境的には何の問題もないように思う。

最近他の人たちが頑張ってくれるようになってきたので、私の負担がかなり減った。
でもそれは、「辞める」と私が言ったから、頑張ってくれるようになったのかもしれないけれど。

それでも辞意を撤回しようとまでは思わないのは、今の職場で学べることは学んだという気持ちがあるからだろう。
人と仕事をするとき、どういったことについて気を付けなければならないのか、沢山教えて頂いた。
まだ不足している部分はあるけれど、基本は教えて頂いたので、あとは経験だと思う。

もちろん、技術翻訳そのものについて学ぼうという気持ちがあるなら、学べることはもっと沢山あると思う。

でも、私にはそういう気持ちがない。
特許翻訳の魅力がまるで感じられないからだ。

「翻訳なら、いずれ自宅でできるようになるかも」
「そうしたら、かなり自分主体で仕事ができるのではないか」
「技術翻訳なら、お金にもなるしいいのではないか」

という、仕事環境への憧れの気持ちを持っているとき、たまたま翻訳アシスタントの求人を見つけて入った職場だった。
実際に翻訳家の仕事ぶりを肌で感じられたのは、よい経験だった。

でも上司の翻訳の分野である化学や電気、バイオなどに対する技術的関心は、当初からまるでなかったし、最後までないままだった。
翻訳に関わる喜びを味わうこともなかった。

学んだのは、仕事に向かう姿勢だ。
生半可な気持ちでは翻訳家にはなれないという現実だ。

一つの仕事を究めている人が、どんな風に仕事をこなしているのかを知ることが出来たのは、とてもよかった。
私もそんな風に、何かを究めたいと思った。
惹かれたのは、仕事そのものではなく、仕事をする姿だった。

思い詰めるほど、自分に疑問を持つようになった。
翻訳家になる気がないのに、このまま翻訳アシスタントを続けていてもいいのだろうか、と。

翻訳アシスタントを続ける限り、私はずっと翻訳アシスタントのままだ。
それ以上になるためには、仕事に対するかなりの情熱が必要だと思うけれど、それがないのだから、成長はある程度で止まってしまうだろう。

もしかしたら、それでいいのかもしれない。
将来子供を産んで、子育てをしながらほどほどにパートをする人生が、現実的なのかもしれない。
体力がないし、うつも睡眠障害もあるのだから、それが限界なのではないかと思わないでもないのだ。

でも私はやっぱりきちんと働きたい。
仕事から、給料以上の何かを得たいと思っている。

何かというのが何であるのかは、分からない。
でもその何かが、今の仕事では満たされないことだけは、確信しているのだ。
今の職場に居続けて、現状に甘んじるよりは、未来への可能性を試したい。

何の具体策もないまま辞めるのは浅はかなのかもしれないけど、辞めることで、少なくとも今より考える時間ができる。
他の仕事を試すチャンスができる。

今はそれでいいのではないかと思う。