https://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/071114/sty0711140816000-n2.htm
御用記事と自慰史観を垂れ流す産経新聞に世間様のモラルを云々する資格があるのかという論点はこのさい置いておこう。
昨日も土曜日午前中の外来が大混雑だった。当院は予防接種外来を土曜日にやるから年末はインフルエンザの予防接種でたいがい大混雑するのだが。しかし有り難いことに御受診の皆様には辛抱強くお待ちいただけて、お呼びする片端から診察に取りかかれて多少はスムーズだったと思う。
いささか形式的ではあるが、お呼びした子どもさんと親御さんが診察室に入ってこられたら、まず私が「おはようございます、今日はお待たせしてすみません」とかなんとかごにょごにょと一言の詫びを入れる。すると親御さんが「いえいえそんなことありません」とか何とかさらっと打ち消す。その10秒のお作法でなんとか段取りが保てていたような気もする。その詫びを逆手にとって「何でこんなに待たせるの!」とか居丈高に出られるのを覚悟するほど私は人格者ではない。たぶん親御さん達もそれは分ってるんだと思う。当地では診療が終わって診察室を出るときに子どもが挨拶をしなかったらその場でたしなめる親御さんが多いし。私は親御さん達に支えられて外来を無事に乗り切らせていただいている。
聞き及ぶところによれば、待ち時間が長いと言って他家の児を診察している最中の診察室の扉を蹴り開けて怒鳴り込んでくるのが常態の病院もあるらしい(注)。ただでさえ平均診察時間を10分以上はかけていられない外来で、早く診ろの診れないのの言い争いに20分も30分もかけていられない。
(注)そんな病院に勤務していたことを得意げに話す医者が多くてうんざりするのだが。自分がタフだと主張したいんだろうけど、無邪気が暴走してナイーブに堕している。結局は医者も含めてその水準の道徳しかない御土地柄だったんでしょうねと切り返してみたくはある。当地はそこまで堕落してはいない。
私が診察しているブースの隣に小児科外来の診察前受付があって、予診表を書いていただいたり体重を量ったり(体温と体重がわからんと小児科外来診療は不可能だし)している。そこでてんてこ舞いしている看護師や事務員の手を止めさせて順番はまだかと聞く人も、さすがにそれくらいは無いこともなさそうだったが、まだならちょっとトイレに行かせてきたいとか、どちらかと言えば外来診察の順調な進行にご協力して頂いている方向性の質問だった様子なので、それはそれで良かろうとも思う。
一部始終聞いていなくても、それは声色でも察することができるので。横車を押そうとする人は自分には聞く耳がないということを態度で表現するから。怒鳴るなり切り口上になるなりで。要件が何であれ、怒鳴り散らされて愉快に思うような変態はそもそも当院では雇っていないから、怒鳴る人が一人でもあるとパフォーマンスがはっきり落ちる。大人が怒鳴ると、子どもさん達も怯えてしまって、診察時に泣く子が増えるからなおさら、外来のスピードが落ちる。
なんだか外来進行のスムーズさに関する責任を患者さんに押しつけているかのような文章になったが、むろん外来のスムーズさを決める第一の要素は医者の診療能力ではあるのですよ。詰まらんことでうだうだ悩むあいだにも時間は経つものだし、数分間をセーブできる知識がどれほどあるかが医者の能力の厚みを決めるものだし。ただまあ、診療がうまく行きましたという記事でそれを論じると言外に自分が名医だと主張しているようで上品さに欠けますから、それは申さないことにします。
冒頭の記事には私は批判的である。まだ私が平和な土地にいるためだろうと思う。なんやかやと患者さんにご協力を頂いて曲がりなりにも平穏に外来をやっていけてるからだろうと思う。有り難いと思いこそすれ、最近の患者はどうだこうだと他責的なことを言う資格は自分には無いように思う。それに、ちと厳しい言い方だが、最近の患者はって言うけど昔の医者は35歳で開業できてたの?とも思うし。「ゆっくり寝たい」という欲求に共感が足りないというだけでも勤務医時代の苦労が足りないように思えてしまうし(そんなつもりで言ったんじゃない言葉ならなおさら、産経新聞ごときに揚げ足とられるようでは「坊やだからさ」としか言いようがない)。親御さんとしても自分とどっこい程度の年齢の若先生を院長先生とよいしょするにはそれなりの人格的蓄積が必要だろうし。まあ、あと10年も辛抱したら、この先生も不満少なく外来ができるようになるんじゃないかなと思う。