旦那のお父さんのお墓参りに行きました。
お墓に書かれている「享年42歳」というところを見て、
「こんなに若くしてなくなったんだ。
お父さんもあとちょっとで42歳なのに・・・」
(下線部の言葉使いが、のび太らしい)
・・・と、つぶやくのび太・・・
のびパパのお父さん、のび太のおじいちゃんは、
のびパパが、小学2年生の時に亡くなりました。
去年、ご法事の時に、のび太にその話をしました。
「このお墓のおじいちゃんは、のび太のお父さんのお父さんで、
のび太のお父さんが、2年生の時に亡くなったんだよ」
というと、しばらく、考えて、
「・・・やだな・・・僕、そんなのいやだよ。」
と、ちょっとブルーなのび太。
「大丈夫だよ。のび太のお父さんは、こんなに元気だし、
心配しなくて良いんだよ。」
しばらくして、何かの話のつながりで
「おじいちゃんって、小学2年生で亡くなったんだよね〜
小学生で亡くなっちゃうなんて可哀想だよね」
?
え?!違うぞ!のび太!
やっぱり、理解不能だったか?!
「違うよ、のび太。
あのね、のび太のお父さんが2年生の時、42歳のお父さんのお父さん、
つまり、おばあちゃんちのお仏壇の写真の人が亡くなったんだよ。
あの、写真の人は2年生じゃないでしょ?」
「あ〜!なんだ〜そうか〜!
僕、小学生で亡くなるなんて、嫌だなって思って、
悲しくなっちゃったよ」
この、「家系」に関する説明は難しくて、
なかなか、理解できなかったのび太。
○○のおじいちゃん、おばあちゃんが、お母さんのお父さんお母さん。
お母さんは○○のおばあちゃんから産まれて、
Mちゃん(私の妹)と姉妹。
△△のおばあちゃんが、お父さんのお母さん。
お父さんのお父さんは亡くなって、もういません。
地球儀のおじちゃん(入学祝いに音の出る地球儀を頂いた)が、
お父さんのお兄さん。
これを理解できたのは、つい最近です。
それまでは、いくら説明しても、
「違うよ!お母さんはのび太のお母さんだから!」
と、受け入れること、理解することができませんでした。
みんな、赤ちゃんで産まれて、だんだん成長し、
大人になって、女の人は赤ちゃんを産んでお母さんになる、
いつか、自分も成長して大人になる・・・
ということが、理解できなかったのび太。
目に見えない過去、想像できない未来。
それを、私や旦那の小さい頃の写真で過去を見せたときに、
やっと、理解できてきたのび太。
未来の想像もなかなかできずに「大きくなったら何になりたいか」
という質問にも答えられなかったのび太。
でも、去年、やっといろんな夢を抱く喜びを知り、
FMのDJやら、数学者やら、夢見るのび太。
このお墓に眠るおじいちゃんは、
お父さんが大人になった姿も見ないまま、亡くなったかも知れないけど
ちゃんと、どこかで見ているよ。
お父さんのことはもちろん、のび太のことも。
だから、のび太は守られているのかも知れないね。
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