人をおとしめるという行為には不快感しか覚えていなかったのだけれども、どうやらこれは、アスペルガー症候群に欠けている社会的スキルらしい。
定型の人は、自分を際だたせるために、他人をおとしめることがある。
例えば、政治家。
自分の政党を際だたせるために、他の政党をおとしめる。
広告もそうだ。
自社の製品を際だたせるために、他社の製品をおとしめる。
相手が好きか嫌いかなど、感情は関係無しに、おとしめる。
それが仕事だからだ。
そうしないと、誰も自分を見てくれない。
仕事でなくても、他人をおとしめることがある。
例えばブログ。
観察してみるといい。
他のブログやニュースの意見の批判を多くするサイトというのは、結構人気があったりする。
人をおとしめることによって、他のブログとの差別化を図っているのだ。
定型の人は、相手の意見を徹底的に批判することもあるけれども、相手を心底嫌っているから批判するのではなくて、それが仕事だったり、社会的に有利な状況に繋がるから批判する場合がある。
人をおとしめることは、自分の人気に繋がる。
アスペルガーには、このことが分かっていないかもしれない。
定型の人が、単に自分を有利な社会的立場にするために人をおとしめると、それがその定型の人の本音だと思ってしまう傾向があるように思う。
例えばアスペルガーの人は、人に批判されると自分の全人格を否定されたように受け止めて、落ち込んだりするけれども、その反応は定型からすればずれているのだ。
アスペルガーの人が人を批判するときは、心底その人の意見が間違っていると思うときだ。
人を批判するとき、アスペルガーの人は自分の意見が絶対正しいと思っている。
建前というものは存在しない。
だから定型の人が他人をおとしめるときにも、定型の人が心底その意見を正しいと思っているのだと受け止めてしまう。
でもそれは違うのだ。
定型の人は、自分の社会的立場を有利にしようとして、人をおとしめることがあるけれども、それは建前であって本音ではなかったりする。
仕事でばりばり他人をおとしめていても、意外と家庭では良い人だったりするのだ。
人のことを悪くいう定型の人がいても、それがその人の本音とは限らない。
アスペルガーにはその裏表が理解しづらい。
表では人をおとしめていても実はいい人というのは存在する。
しかし、人を傷つけることを目的として人をおとしめる人というのも存在する。
アスペルガーには、その見分けは非常に難しい。
でも定型が人をおとしめる原理を知るだけでも、人間関係に余計な不安を抱くことは減るのではないだろうか。