私の息子 まこちゃんは ニューヨークで生まれました。
とってもかわいい子どもで 誰からも愛されて育ちました。
私たちは ニューヨークの郊外のRyeという町に住んでいて、まこちゃんが2才まですごしました。まこちゃんの主治医の小児科医も まこちゃんがすくすくと健康に元気に 普通の子ども達よりも体も心もことばも成長が早いので『気をつけてね』と言われました。それは、適齢期の子ども達よりも少し早めの対応を考えて子育てをしてね〜というアドバイスでした。
何の異常も見られず『2才まで元気に健康にすくすくと正常に成長』したのです。
町のデパートに買い物にでれば、エスカレーターの登りに乗った私とまこちゃん(ストローラー=バギーに乗っている)と 下りに乗ったおばあちゃん達とすれ違ったりするんですけど・・・それが大変☆ おばあちゃん達は まこちゃんに出会うと追いかけてきて『祝福を』と言って まこちゃんの手のひらにキスをしたり 抱きしめてくれました。
カリフォルニアに旅行したときは 飛行機の中をスチュワーデスさんが「なんてかわいい子なの」と大喜びで連れて行って、戻って来たときは 顔中がキスマークだらけ(笑)
サンフランシスコでは 遠くから 天に立ち上る大きな柱のオーラが見えたと 走ってきて『祝福』をしてくれた親子の方もいました。
私たちは 本当に幸せで 幸福に満ちあふれていた2年間を アメリカですごしました。
まさか『環境の激変』が引き金になり、まこちゃんが「精神的に崩壊」し、『小児期崩壊性障害』という10万人に1人(自閉症児100人の中に1人)という障害になるなんて想像もしていませんでした。この事がわかったのは まこちゃんが11才になってからのことで、私たちは長く苦しんでいました。障害名がわかったからと言って何が変わるわけではありませんが、まこちゃんのことを説明しやすくはなったのです。でも、それと同時に、この障害が「知的に重度のままで発達をせずに 一生を重篤な障害を持ち続け 一生を介助無しには生きられない障害」であると知ったときの 死刑宣告を受けたような衝撃は 言葉に言い尽くせません。
私たちの幸せは 2年で終わりました。
日本に帰国して1週間後、私たちの顔さえ判別がつかなくなり 小さな小屋の中でおびえてふるえ 言葉を完全に失い パンツトレーニングも終わる頃がおむつにもどり、8ヶ月で捨てたほ乳瓶を常時くわえ、意識がもうろうとして、おふろやトイレも怖がってはいれないくらいおびえ、お散歩がだいすきだったのにドアノブさえ恐怖でさわれなくなり 外にでれば泣き叫び 恐怖で走り回り まるで別人のようになってしまった子どもを抱えて・・・
『子どもが障害を負ったのは おまえ達のせいだ』と実の親にせめられる毎日は 地獄の業火で焼かれるようなものでした。子どもを殺して私も死のう・・・子どもの首に何度手が回ったことでしょう。
追い打ちをかけたのは 当時 市の嘱託で来ていた児童精神科医の言葉でした。
『あなたの子どもに できることは何もありません。』
何ヶ月か通った M市の市の相談機関へは 行かなくなりました。精神科医に会うたびに「あなたのとらうまを解決しなければ子どもは良くならない」とか様々言われ続けて、私はノイローゼ状態になり 子どもとの関係は悪化していきました。
その後、茨城県に転勤になり、その後の転勤で 東京の○区に住むことになりました。
6歳半の時に 東京学芸大学の名誉教授である山口薫先生の講演会で 子どもの状態のことや
子どもには『早期療育』をすることができることを知りました。スタートが遅すぎるくらいの時に知って・・・愕然としました。
子どもの状態をおおまかに知って私は1週間寝込み、それから、山口薫先生が会長をされている「日本ポーテージ協会」に入会して、ポーテージ療育(応用行動分析の療育方法)を行う事になりました。
追記:ポーテージ(ABA)を中心にして、成長の過程で必要な療育方法を取り入れながら プログラムをすすめてきました。それとは知らずに構造化(カードやスケジュール、部屋の間取りを指導プログラムに合わせて変えるなど)を行っていました。
プログラムを考えていく途中で必要なことでも、10の支援から1の支援にできるように 変化をさせていき、1つのことに執着したり 固定しないように気をつけていました。
変化には とても時間がかかるものもありました。
診断は小学6年生の時に 東京大学の栗田廣教授に診ていただき、広汎性発達障害・小児期崩壊性障害という診断を受けました。環境が変わって1週間で激しく崩壊するという とても特殊なケースでした。
田中ビネー式で発達検査を受けていますが、数回行ううちに自分が受けたくない言語領域のものや、簡単で答えたくない設問を 「NO Thank’s.」と断ったり、無視したり、興味をもったことにシフトしてしまったりと・・・検査をする側が期待した数値をとることは不可能でした。
特に、はじめての検査で『嫌な体験をした』ことに対して記憶が薄れたり 忘れることはなく、拒否という形であらわれています。
普通の子ども達と違って、同じ意味でも言葉の言い回しで意味合いが同じ・・・という事を「同一の意味として認識しない」ことがあります。
○と●を ○○○○○ と ●●● 「どっちが多い?」という設問は 「どっちが大きい?」という算数の設問とは「ことばが違います」
なので、日常的に使われない言葉の設問の意味は理解されず 「答えない」
すると「この子供は 数学的な概念が全くないようですね」と判断されます。
まこちゃんのように この問題に答えられなくても数学の方程式が解ける子供はたくさんいることでしょう
自閉症領域の子ども達の知能を正しくはかれる 発達検査が創られる日が来るとよいと思っています。
このブログを訪れてくれた研究者が いつの日か、広汎性発達障害が魔法のように治る薬を開発してくれたら・・・天才的な領域の能力を伸ばす療育を開発してくれたら・・・正しく知能を測ることが可能なプログラムを開発してくれる日がくることを願っています。
もしもあなたが、研究者ならば、怖れることなく前を歩く人を超えて先に進む研究者となってください。
もしもあなたに違う意見を言う人がいたならば、呑み込んで先に進む 深さをもってください。
プラスもマイナスも どちらもこの世界には必要な力です。
このブログは 母親の私の愚痴が多くあります。悩み苦しみ・・・壁にぶつかる私がたくさん出てきます。
私は特別な親ではありません。 ただ・・・少し違うとしたら、まこちゃんのことだけでなく、大きな海をみるように 広大な草原をみるように 物事を時々広く考えていることでしょうか・・・・。
誰の人生にもゴールはありません。魂と身体が分離するその日まで 一生懸命に生き抜く・・・
私が小2の時からずっと考えつづけていることは「人はいかにして考えるのか?」ということ「人は死に向かって生きているのに なぜ夢を見、希望を持つのか・・・いつか死ぬ日がくるというのになぜ人は活き活きと生き抜こうとするのか?」という事でした。
小2の頃に父に「言葉に出して音を聞いて考えるな。頭の中だけで考えろ」〜当たり前のことなんですけれど、そういわれた時に「人はどこで考え、どこで感じ、どこで発するのか?」とても不思議に思いました。
それからずっと「不思議なこと・・疑問に思うこと」の連続に「答えを考えています」
私も・・・きっと変な人なのかもしれません(笑)
『星に願いを』♪When you wish・・・♪は まこちゃんの大好きな曲です。
泣きながら2人で歌い、笑いながら2人で歌い・・・私達 母子は一生懸命に生きてきました。
みなさんの応援で私達は ゆっくりと歩いています。これからもどうぞよろしくお願いします♪
☆小児崩壊性障害(Childhood Disintegrative Disorder)の診断基準 ☆
DSM-IV(アメリカ精神医学会の分類基準)
A. 生後少なくとも2年間の明らかに正常な発達し、年齢に相応した言語的・非言語的コミュニケーション、対人関係・相互作用、遊び、適応行動を示す。
☆小児崩壊性障害の場合、少なくとも2歳までは正常発達であることが確認される必要がある。(自閉症の場合は、3歳以前に異常が始まっていなければならない。)
B. 以下の少なくとも2つの領域における、以前に(10歳未満に)獲得された機能の著しい消失
1. 表出性・受容性言語
2. 対人関係、または、適応行動
3. 排便、または、排尿のコントロール
4. 遊び
5. 運動能力
☆以前可能であったことが、できなくなっている。
C. 以下の少なくとも2つの領域における機能の異常
1. 対人関係・相互作用における質的な障害(例えば、非言語的な行動の障害、仲間関係の発達の失敗、人に対しての情緒的な相互性の欠如)
2. 意思伝達の質的な障害(例えば、話しことばの遅れや欠如、会話の開始または継続することが不能、常同的で反復的な言語の使用、ごっこ遊びの欠如)
3. 運動性の常同症や衒奇症を含む、限定され、反復的で、常同的な行動・興味・活動性
D. 障害は、他の特定の広汎性発達障害、または精神分裂病では説明できない。
☆現在の状態は、自閉症とほぼ同じ状態