あるブログで、自閉症者のパニックを誘発しないためには何が起こっても表情を変えないことが重要ということが書いてあった。あるブログといっても別に隠す必要は全くないので紹介する、「知的障害×自閉症×支援力UPプロジェクト」と題するブログで、パニックゼロを掲げて知的障害のある自閉症者の支援、及び支援者の支援をされている福祉屋あおい(山田由美子)さんが書いておられるものだ。https://ameblo.jp/teamaoi2003/entry-11992170312.html知的障害のある成人自閉症者のパニック対応というのかなり大変なものだろうと思う。本人もツラいが周りも対処が大変だ。表情ひとつでパニックをかなり予防できるのであればそれに越したことはない。ふんふんと頷きながらこの記事を読んでいて、ちょっと前から気になっていたことが頭をよぎった。知的障害のないタイプの自閉症者のなかで時々言われる話なのだが、「空気は読めないのに、批判的な雰囲気だけは超敏感に察知するんだよね」というものである(ちなみに私はあまりそういう実感がない)。さらに、ちょっと前に受けてきた表情認知のテスト(研究協力のもの、リンクは関連記事)の結果を思い出した。「喜び」「悲しみ」「怖れ」「怒り」「驚き」「嫌悪」のうち、「喜び」と「嫌悪」はだいたい当たるのだが、それ以外は壊滅的に外れる。つまり「喜び」「嫌悪」以外はろくすっぽ認知できていないという感じだった。自閉症児者では顔や表情の認知に問題を抱えているということはある程度知られている話なので、まあ納得の結果だったわけだが、これはもしかしたら上の二つの話(山田さんのブログの話、「空気が読めないのに…」という話)と関係するかも知れない。私自身は表情がわからなくても「うーん、わからん、いつものことだ」なので口調などの情報や状況も含めて判断したり、判断せずに保留したりする(みてない場合も結構多い)、それができない場合もあるかもしれない。ちょっと仮定をおいて考えてみる。1 「もし、不安や恐怖、焦りなどを抱えている状況だったら」(信頼関係ができていない場合もこれにあたるだろう)2 「もし、表情がわからないことがあると認識できていなかったら」この二つが重なる場合、理解できる表情のうちで悪い方へ悪い方へと表情の解釈がシフトしていってしまうことは多いにあり得るのではないだろうか?「喜び」「嫌悪」しか認知できない人ではこの条件が重なると「哀しみ」「驚き」「いぶかしさ」「戸惑い」「落胆」「しんどさ」など微妙な表情がすべて「嫌悪」に見えてしまうことは大いにあり得るし。「喜び」「怒り」しか認知できない人では「怒り」に見えてしまうことがあり得るだろう。何でもかんでも「嫌われている」とか「怒られている」と感じていたらそりゃいじけやすくもなる。下手すると「どうしよう」の空回りでパニックへということも起こるだろう。とまあ、そんなこともあり得るのだろうという話なのだが、あながち外れてもいないと思う。とはいえ、なんでもないことでいじけられたら、相手としてはたまらない、下手すりゃホントに不快になってくる場合だってあるだろう。じゃあ、これは不可避なのかといえば、私も含めあまりいじけ癖がついていない自閉症者も結構いるということを考えると回避はできるはずだ。信頼関係が安定して保てる相手がいることでだいぶ回避される可能性は高いだろうし、表情から感情がわからないこともある(つまり相手の表情から自分の感じたものは結構怪しい)ということを認識しておくことも回避策の一つになるだろう。パニックやいじけやすさのすべての原因が表情由来の問題というわけではないが、特に低年齢だったり知的障害を抱える場合では親御さん、先生方、支援者には「ポーカーフェイス」でいてもらえると、脳みそへの妙な負荷が減るのでとーっても助かるだろう。<本稿おわり>