さて、何回かに分けてベーシックインカム制度の内容について書いてきましたが、このシリーズエントリの元々の趣旨である「福祉制度があるがゆえの障害者いじめ、私的制裁」と、このベーシックインカム制度の関係について触れておきたいと思います。このシリーズエントリで述べてきたような「障害者いじめ」というのは、福祉制度があるがゆえに「あいつらだけが得をしている」「苦労して働いている自分たちより、あいつらのほうがラクをしていい思いをしている」といった妬みや誤解から、その「自分たちより得をしている」を想定される支援を無効にするような形で下される「私的制裁」のことを指しています。「聲の形」第1巻より。これは、端的にいえば最近よく言われるような「生活保護バッシング」と似たような性質のものだと言えるでしょう。そして、このような「いじめの構造」は、いまある福祉制度が、「弱者だと認定された人にだけ支援を提供し、そうでない人には提供しない」というシステムになっているからこそ生じている側面がある、ということについても分析してきました。それでは、もしも現行の福祉制度が廃止され、代わりにベーシックインカム制度が導入された場合は、このような「障害者いじめ」はどうなるでしょうか?恐らく、(そういうタイプのいじめ、私的制裁については)なくなるか、非常に起こりにくくなると想像されます。なぜかというと、ベーシックインカム制度というのは、特定の「弱者」にだけ特別な利得を提供するような支援制度ではなく、あらゆる人に漏れなく提供される支援であるため、「あいつは特別扱いされている」という認識を生みにくいからです。ベーシックインカムは国民全員に同じだけ提供されます。ある意味究極の「公平な福祉制度」です。そして、頑張った場合、頑張った分だけ「手取り」は多くなり、「何もできない人がたっぷりと支援を受け取り、少しできる人は支援を受けられないためにかえって貧しく、苦しくなる」といった逆転現象も起こりません。そういう意味で、「弱者だけが甘い汁を吸っている」といった認識や誤解が(少なくとも現行制度よりは)はるかに生まれにくい制度である、ということが言えます。そして、このベーシックインカム制度は、いわゆる弱者の人の自立支援という観点からも、画期的なメリットを生み出すであろう、1つの大きな特長があります。それは、働き方のスタイルが圧倒的にフレキシブルになることです。これは、少し考えれば、障害者就労について画期的なソリューションになりうることが分かります。次回はこのあたりについて書いてみたいと思います。