音が突き刺さり、言葉が消えた
私が音声に対して過敏をもっているということはしばしば書いてきた。
換気扇や扇風機のファンの音で頭がぼーっとしたりイライラしたり、特定の音楽をある程度以上の音量で聞くと思考がストップするなど多いのだが、今回は音楽だった。
それだけならまあ、「またか」の領域なのだが、たまたま運良く興味深い現象を把握できたので記事にしてみる
音量、音質、タイミング
最近タヌキ(亭主)が玄関の土間で音楽を聴くのにはまっている。約6畳の空間だが、あまりものを置いていないのと天井が高いのがあいまって、かなり音の響きが良い感じになるからだが、これが結構私にとっては迷惑なことがある。
玄関の土間と台所の間には音を遮るような戸がない。戸はあるのだが格子戸だし天井の空間は繋がっている。そしてタヌキと私では音量に対する耐性が思い切り違うため、タヌキがついうっかり気分良く音量を上げるのと夕飯の準備状況と私の寝不足などのタイミングがバチッと合ってしまうと極めてまずいことになる。
最近は耳栓は常備なのでアブナイ曲だとわかった瞬間に耳栓を装着する。ストラヴィンスキーやマーラーなど音の重なりが多い曲やヴァイオリンの響きが強い曲は要注意で、すかさず警戒体制をひくのが常である。
ドヴォルザークの6番は盲点だった
しかし今回はドヴォルザークだったので警戒が甘かった
夕方帰ってきたタヌキが土間に陣取り、ドヴォルザークの6番をかけ始める。私も結構好きな曲なのではじめフンフンと気持ちよく聞いていたのがまずかった。夕方の台所仕事中だったのでタヌキが途中で音量を上げたのに気が付き損ねたのだ。
夕食の準備も終わろうとする頃、曲の方もクライマックスだった。夕食のことについて何かタヌキに話しかけようとしたのだが、どうも言葉がうまく出ないのだ(何を話そうとしたのかはすっ飛んだので憶えていない)。
何度かトライしようとしたが、あっという間に「音が突き刺さる感覚」に飲み込まれた。
こっちをむいたタヌキが「何か用か?」と言ってきたのは憶えている。
だが、音楽とともに次々に入力される「音が突き刺さる感覚」が浮かんだ言葉を片っ端から消していく。
声が出ない!
口を動かそうとはするが喉は動かず、その間に言葉が飛んでいってしまい、頭が真っ白。
身体が固まっていくというか無くなっていくというか、とにかく身動きがとれない
その後30秒くらいたっただろうか?タヌキが私の異変に気が付き、傍らにあったイヤーマフを私の頭部にセットした。
音が突き刺さる感覚が瞬時に消え、ちょっとヘナヘナとなる。そして数秒で話せるようにもなった。
「言葉が消える」
音が突き刺さってと動作にまで響くいうのは頻繁にではないが以前からあった。
体調があまりよくない時に混雑したカフェや居酒屋に行った時、大音響の苦手な音楽に曝露したとき、そして最近ではないが、(時系列の順序を無視した)人の指示的な話を聞く時などである。
こういうことが起こっても、たいていの場合、その場を離れて事なきを得るか、もしくは収拾不能状態(いわゆる自閉症者のパニック)まで進行してヘロヘロになって布団の中に駆け込むかなので、今回のように現象の最中のことを詳細に記憶も意識もしたことはなかった。
今回たまたまタヌキが私の異変を察知して対処してくれたおかげで、完全なパニックになる前に通常モードに戻れたことから、現象をある程度把握することができたわけだ。
(ちなみにその時の様子だが、タヌキによると目がおどり、無言で半開きの口をもごもごとさせて立ちすくんでいたらしい)
ともかく今回の件、私の感覚的な理解は「音が突き刺ささり、その音が浮かんだはずの言葉がどんどん消し飛ばしてしまい頭が真っ白」であったのだが、ここから1つの考えがうかんでくる。
感覚情報過剰と発話やパニック
今回の件、概略では「音声刺激の過多」→「発話困難」なのだが、音声刺激が過多といってもタヌキは発話できているわけで、そうなると私の脳みそが音声刺激を適切に処理しそこね、音声の知覚情報が処理能力を越えて過剰になり、その結果、音声以外の情報処理、発話前の言語の一時記憶や、発話のための筋肉動作に影響を及ぼしたという見方ができないだろうか。
今回の件は音声過敏という現象に伴うものだが、それに限らず自閉症児者の「頭が真っ白」現象はよく聞く話である。
次々とものを言われると頭が真っ白で話せなくなるといったことは普段話すことができる自閉症者でよくきく話だし、
「自閉症の僕が跳びはねる理由
」という本で有名な東田直樹氏もインタビューの中で「話そうとしたときに頭の中が真っ白になります」と語っている。
これらはもしや同じような現象なのではないだろうか?
自閉症者の感覚・知覚面の問題に関しては、感覚統合療法が療育の手段として定着しつつあるものの、DSM5でやっと感覚過敏が症状として認知された段階で、まだまだ研究が進んでいない領域だ。まあ、感覚というものは問題があっても当事者からすれば自分の感覚はデフォルトなので自覚されにくくもあるし、他覚的に捉えにくいものでもある。さらに言語コミュニケーションの難しいカナータイプの自閉症児者の場合などは感覚・知覚面の問題を当事者本人が訴えることも難しいといったことも問題を見えにくくする要因だ。
だが、感覚過敏の問題が実は知覚・感覚の情報処理の障害のごく一部、つまり氷山の一角であると考えるなら、そこに対する対策を考えていくことは自閉症者のQOL全体に影響を及ぼしかねない。
感覚面の問題を単に「症状」として見るにとどまらず、それを他の症状を引き起こす「原因」として見ていくことによって自閉症のまた違った側面が見いだせるのではないだろうか?
とまあ、そんなことをフラフラと考えたのであった。
最後に、ac.jpドメインからこのブログを見に来てる研究者のみなさん、ガンバ! …と、無責任に丸投げして本稿を終えることにする。
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