さて、前回は、社会が段階的な福祉的サポートを提供することが、以下のような問題を引き起こすということを、グラフを提示しながら解説してきました。・弱者(当事者)にとって、「より弱者であるように振る舞う」あるいは「あえて弱者のままでいる」という悪しきインセンティブを与えてしまうこと。・障害認定の段階が変わる境界近辺に位置付けられる弱者(当事者)にとって、「障害を軽く認定されることによって提供される福祉的サポートが減り、ぎりぎり重い側に認定された人よりも社会から得られる利得(=生きやすさ)が下がってしまうことがあること。・相対強者(非当事者)にとって、弱者は自分たちがもらっていないサポートを受け取っていて「得をしている」「甘えている」といった錦をもってしまうことがあること。特に、弱者の「困っている状況」がうまく非当事者に理解されていない環境では、弱者の弱者性(困り度)が軽く見積もられ、いっぽう与えられている福祉的サポートは実態より大きく見積もられる(隣の芝は青い)傾向があるので、そういった妬みの感情はより強くなる傾向がある。簡単にいうと、弱者の側に「既得権」っぽいものができあがってしまって、弱者は弱者でそれをできるだけ多く得続けるために「弱者でい続ける」インセンティブが働いてしまうし、弱者ではない非当事者からは、「あいつらは楽をしておいしい汁を吸っている、不公平だ逆差別だ」と見えてしまう、ということです。さて、ここでようやく「いじめ」の話に戻ってきます。もし、ある集団が社会から過剰な利得を得て、甘い汁を吸っているように見えて、しかも社会の制度(行政であったり警察であったり)が、その「甘い汁を吸っていること」を是正したり罰したりしてくれることを期待できない場合、何がおこるか。それが、私的制裁=リンチであり、いじめはこの私的制裁の一種であるといえます。つまり、私的制裁によってペナルティを与える、先ほどのグラフ的にいえば「得られる利得をマイナスさせる」ことによって、過剰に得ている利得=甘い汁を失わせて、バランスをとろうとする働きが生まれてくると考えられるわけです。その「私的制裁」という現象を取り入れたグラフが、こちらになります。すみません、だいぶややこしくなってきました(^^;)。詳細の説明は次回に回しますが、簡単に説明しておくと、薄い赤線が「私的制裁によって与えられるペナルティ」で、そのペナルティによって紫の矢印マークのような「利得の引き下げ効果」が生まれ、最終的な「私的制裁を受けた との利得」はオレンジのラインになる、という図です。しかも、このグラフ自体が「謝ったベース利得の認知」に基づいている、ということがさらにポイントになるのですが、そのあたりについては次回以降で解説していきたいと思います。(次回に続きます。)