1週間主夫をやってみて(あるいは、エコサイクル家事のススメ)(4)

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Nice!

今回、妻の出産にともなって1週間ひとりで全部の家事をやる、という経験をして「発見」したことは、家事とは、家庭のエントロピーを増大させないこと、あるいは家庭のエコサイクルをまわし続けることだ、ということでした。家庭というのは、毎日清潔な環境で生活し、衛生的な服を着て、おいしい食事をたべて、きれいな布団で寝る、そういう場所です。加えて、子どもがそこで育ち、学校に通い、帰ってきて遊ぶ、そういう場所でもあります。そして、「家事」というのは、これらの「家庭の機能」を提供し続けることです。「清潔な環境で生活」すると、その「清潔な環境」はどんどん汚染されていきます。「衛生的な服を着」ると、すぐにその「衛生的な服」は汚れて「不潔な服」に変わります。「おいしい食事を食べ」ると、食材を消費し、生ごみや汚れた食器があふれます。「きれいな布団で寝」ると、その布団はやがて「汚い布団」になってしまいます。そして、子どもの生活や学校も同じで、「子どもが生活する」ことによって、結果として「そのままでは子どもの生活が続けられない状態」が生じます。これらは言い換えると、家庭で生活すると家庭のエントロピー(乱雑さ)が増大し、そのまま放っておくと家庭の機能を提供できなくなる、あるいは家庭の「エコサイクル」が回らずに止まってしまう、ということを意味しています。ですから、ここに意図的に働きかけて、「清潔な環境」を取り戻す。「衛生的な服」がふたたび着られるようにする。「おいしい食事を作り、食べる」ことがふたたびできるようにする。「きれいな布団」でふたたび寝られるようにする。「子どもの生活」がふたたびちゃんとできるようにする。という状態を取り戻すこと、それによって家庭のエントロピーの増大を防ぎ、また家庭の「エコサイクル」をちゃんとまわすこと、それが「家事」なのだ、ということですね。英語で家事のことを「Housekeeping」といいますが、それがどういう意味か、ようやく実感できた、という気がします。まあ、こういう話は、ふだん家事をこなしている方からすると「何を当たり前のことを」と思われるかもしれません。でも、(推測ですが)これまで家事をそこまでのレベルで本格的にやっていないお父さん(例えば「家事の分担」をしたり、1~2日の留守番をして予め言われた家事だけを作業的に済ませたりといったレベル)は、こういう実感を持っていないのではないか、と思ったりするわけです。そういう人が「家事」をやると、例えば・洗濯はするが干すのが面倒でやらない。あるいは干すのはやっても取り込んで畳んで片付けるのが面倒でやらない。・掃除はやるが掃除機が出しっぱなし、あるいは掃除機のたまったごみを捨てるのは面倒でやらない。・料理は作るだけ、後片付けは面倒でやらない。といったように、家事の途中の作業の一部だけをやって、後は面倒くさがってやらない、といった感じになりがちです。なぜ、そうなってしまうのか。それは、実は家事の全体像が見えておらず、逆に結果として、家事を途中でやめてしまっても本人は「それなりにちゃんとやった感」を感じてしまうからなのではないかと思います。でも、家事の本質を「家庭の機能を復元すること」だと実感していれば、料理を作っただけ、洗濯機を回しただけではまったく「家事の本質」に到達していないと理解できます。そうすれば、今度は料理を作るだけでなく片付けも終わらせて「また次にいつでも料理ができる状態が復元されること」にこそ、深い達成感を得られる(強化される)ようになることでしょう。掃除、洗濯も同じです。ですから、「どうしても家事を手伝ってもらってもつまみ食いのようにしかやってくれず、最後までやるのを面倒がる」という悩みを配偶者に対して感じている方は、荒療治として(笑)、「とにかく1週間全部家事をやってもらう」というのを試してみてもいいのかもしれませんね。(ただし家の中がめちゃくちゃになっても責任はとりかねます(笑))。(次回に続きます。)