あこがれた「普通」

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Nice!

YOOが家を出ていって一週間が経ち、我が家は経験したこともないような静けさに包まれている。まだ、親子共々新しい生活に馴染めないでいるが、これまでのところYOOのほうは特に問題もなく過ごせているようだ。自閉症児の育児の中で、「この子さえ居なければ・・」と思うことは多いだろう。健常児のすさまじいほどの能力の高さを見るにつけわが身、わが子を呪ったりもする。「もうたくさん」と言うほど惨めな思いもする。「自閉症児の居ない生活がしたい」「普通の生活がしてみたい」と思うのが人情だと思うそれはもう、切ないほど、心の底からの願望である。小学校低学年のころYOOは人間の声とは思えないような奇声を発するようになった。そのあまりの非人間的な声と、まるで汚いものでも見るかのような周囲の視線に耐えかねて何度も施設に入所させることを考えた。そう、親であることから逃げる手段を模索した。しかし、できなかった。時折見せる子供の愛らしさを親として信じてしまうからだそして何より自分には他に愛情を向ける対象がなかった。今回、自宅から遠く離れた高校に進学させたのは、「自立心を育てたい」「友達を増やしてあげたい」「自宅のある地域では高校卒業後の自立、就労の可能性がない」との理由からだが、「家から出したい」「この子と離れたい」との思惑がなかったと言えば、嘘になる。だから今回の高校進学にあたっては地元の学校という選択肢ははじめからなかった。いわば本人の意思を無視して親の勝手できめたと言っても過言ではない。その目論見は達成され、YOOは自宅から遠く離れた児童施設から高校に通うことになった。それは、ずっとあこがれた「自閉症のいない生活」「静かで穏やかな普通の暮らし」を我が家にもたらした。安堵感に包まれるはずだった。自閉症児の居ない生活は穏やかで心地よいはずだった。ところが実際はどうだ寂しい。いつも車の助手席に座っていた。父が帰宅すると「おかえり~」と声をかけてくれた。お気に入りの椅子に座り絵を描いていた。食事の時にはお皿や箸を用意してくれた。「お父さん」「お父さん」て、うるさく話しかけてきた。王様がいない。それはもう、恐ろしいほどの寂しさ。子供の巣立ちというものが、こんなにも寂しいものだと始めて知った。こんなにも、切ないものだったのだ。そしてそれは、自分が切望していた「普通の親」の姿に他ならなかった。我が家の自閉症児は、今までの暮らしが特殊な子育てではなく、普通の子育てだったということを身をもって教えてくれたのだった。「親は寂しさに耐えるもの」というのを教えてくれた我が愛息に感謝しながら、親の身勝手の代償として、ひたすら寂しさに耐えることを受け入れなければならない。