最近とんと書かなくなっていた療養日記を久々に書くことにした。服薬終了!となったことのご報告である。まずはこれまで見守り、そしてときおりコメントを下さった読者の皆さまへ、ありがとう!である。ブログをはじめた当初から数年はPTSDの療養日記を通院のたびに書いていたが、調子がよくなってきたあたりから「つい忘れる」ということが増えた。書くほどのネタがないのである。「病院に行ってきたきた、適当に近況を喋ってきた、終わり」である。薬もだいぶ前から減っていて半年ほど前からエビリファイ3mg/dayのみになっていた。それも結構飲み忘れる。整形外科でもらう痛み止めと飲む時間が合わないので忘れやすい。しかし特に不調にもならない。そんなわけで本日で一応服薬終了ということで次の予約もなしということに。障害者手帳の更新時期には病院を訪れることにはなるが一応「通院終了」である。結構思い切った量の投薬をする主治医だったが、減薬もかなり思い切った減薬だった。病院をでてから処方箋がないので薬局に行く必要はないのだが長年世話になった薬局(病院のすぐ近くのとても小さい薬局なのだが感じのいい薬剤師さんと事務の人がいる)なのでお礼がてら通院終了の報告をしにいったら、とても喜んでくれた。帰りしな、病院近くの公園の桜の枝に目をやったらつぼみがだいぶ膨らんでいた。ここで満開の桜を何回も見たなあとふと思い出す。その風景も過去になるのだと思うとちと感慨深い。今回終了となった通院は、前の結婚時のDVによるPTSDとそれによる鬱の治療だったが、発達障害者がPTSD、鬱になったという点では二次障害と同様の状況である。二次障害に苦慮している発達障害者が多いのは知っている。一生薬と付き合わなきゃいけないのかと嘆く声もあるのも知っている。だが私はひどくなった当初から治るつもりでいた。自分では当初5年程度を見込んでいたのだが、8年と結構長くかかってしまった。リウマチの方の体調悪化はかなり響いたと思う。痛みだけでも鬱になったりするわけだからだいぶ影響したと思う。そして東日本大震災も影響した。親類が被災地域に多数住んでおり一時音信不通になるなどしたため、テレビに釘付けになったのがよくなかったようだ。直後にだいぶ悪化して、しばらく頓服のお世話になるなどした。タヌキの仕事の関係でまとまった睡眠がとりづらかったのもあるだろう。でもまあ、とにかく「治った」の状態になったわけで、ここから言えるのは発達障害者がPTSDや鬱になっても「治る」ことをあきらめる必要はさらさらないということだ。最期に一句「二次障害 治して楽しい 発達ライフ」にほんブログ村 発達障害ランキング↑ブログランキング参加してます。↑応援の1日1クリックをとりあえずめでたい!ってことでお一つぼちっ↑と。