普通になりたい。

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Nice!

(すみません。長いです。)息子もそうですが、私も不注意の特性があります。先日旅行に出掛けた時の話。私は旅行の時いつも、持ち物チェック表を作ったり、学校の遠足みたいに「旅のしおり」も作ります。そういうの作るの好きです。そして整理整頓も好きなので、旅行カバンの中身は使いやすいように工夫して物を詰めます。綺麗に整頓されたカバンの中を眺めるのも好き。こうして楽しみながら準備を張り切ったのに、旅行カバンを家に置いたまま出かけてしまったんです(TT)(お金は持ってたので、着替えとか全部、現地で購入しました・・・)頑張って準備したことに満足してしまって、「出かける時はカバンを持つ」という当たり前のことはすっかり忘れていたという・・・これくらいのウッカリはしょっちゅうあるし、命にかかわることではないので、まだいいかと思ってます。でも命にかかわる不注意も多々ありますし、そしてほかに私の障害の特性(凹)は、一度に複数の事をできない、表情が薄い、言葉がなかなか出ない、感覚過敏or鈍感・・・まだまだありますが・・・これらが原因で、危険な目にあったことについて、いくつかお話します。私は過去に、自転車事故を起こしたことが何度かあります。自転車ごと川に落ちて怪我したり、車に衝突して飛ばされ頭を打って病院に運ばれ、一時意識不明になったことも。事故の原因は、私は一度にあれこれ考えることが苦手で、川があることに気づかなかったり、車が近づいていることに気づかなかったからです。あと、命の危険と言えば思い出すのは、出産のことです。私は出産の前日、胎盤が剥がれかけて激痛に苦しんでいたのに、その苦痛を言葉や表情に出すことが出来ず、血だらけになるまで何時間もほったらかしにされたり、救急車を呼ぼうと電話したけど、上手に説明できなくて、なかなか来て貰えず・・・奇跡的に助かったものの、あと少し遅ければ母子ともに危なかったと言われました。それと、これはアスペルガーでよく聞く話ですが、私も息子も体温調節が苦手なので、着るものを失敗して、体調を崩すことが多いです。私は「普通になりたい」と、よく考えます。アスペルガー当事者で、そう考えてる人は多いと思います。それはけっして、「平凡な人間でいたい」とか「周りに合わせて無難に生きたい」とか「個性を抑えて目立たず生きたい」とかそういう意味ではありません。危険なものを危険だと気づくことができる苦しい時は苦しいと言える助けて欲しい時は助けを求められる気持ちを表情に出せる寒い時は寒いと感じる暑い時は暑いと感じるそれらの能力が当たり前に備わっている人、それが「普通」の人。「普通になりたい」と言うと、「普通じゃなくてもいいよ」「人と違ってもいいよ」って、言われることもあります。発達障害者を励ます時によく使われる言葉です。それはきっと善意で言ってるんだろうし、「人と違ってもいい」という考えには同意できるところもあります。うちの息子は絵を描くのが好きですが、正直「小学生らしい絵」ではないし、賞に選ばれる基準とズレてたりします。それに、時間をかけて細かく描くので、授業中に描き終わらないこともよくあるそうです。でも本人は楽しんで描いてるから、「もっと小学生らしい絵を描きなさい」「賞の基準に合う絵を描きなさい」「時間内にサッサと描いちゃいなさい」とは言わないし、それこそ「人と違っていい」って思ってます。こうした人との違いが、素敵な個性や才能になる可能性もあると思います。しかしそれとこれは別の話。私の言う「普通になりたい」は、そういう個性云々の話じゃなく、「生きていくために必要な感覚を持ちたい」ってこと。普通を目指すことがとても大変なのは知ってますし、子どもの頃から「普通」というよく分からない概念に悩んだのも事実です。だからこそ「普通になりたい」という気持ちは、普通になれない私のごく自然な願望なのですが・・・発達障害界隈ではなんとなく、「普通になりたい」と言いづらい空気があるようにずっと感じていたので、あえてこれを記事をしてみました。