「望み」と「望まれる」の狭間で

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Nice!

実は・・・先月、「療育指導員」の面接を受け、不採用になっちゃった記事を書いた。(詳しくは→こちら)「療育指導員」とは、のび太も以前通っていた、療育施設の指導員である。市で運営しているので市の特別臨時職員である。・・・で、それとは別に、とあるところから、「学校支援員」をしてみませんか?と、声を掛けていただいた。「学校支援員」とは普通クラスにいる特別な配慮を要する子の支援をする教員、という事である。呼び方は個々の教育委員会によって様々だと思うが要するに「発達障害児の補助教員」である。もちろん、こちらも市の教育委員会によるもので形式上は面接を受けて採用、ということになるのだが私の性格、のび太のこと、教員免許を持っている、などを知ってくださっている方が声を掛けてくださった。つまり、公に募集はかけているけれども数分の面接だけでは判断が難しいこともあり、採用されてから「大変すぎる」とか「親からのクレーム」とか、はたまた、「学校側からのクレーム」などもあって、この支援員はなかなか続かない人が多いらしい。つまり、安易な気持ちで募集してくる人が多く、また、人間的に「?」な人も多く、採用するのも結構、難しいという事らしい。で、何故か、私に声がかかった。発達障害に理解があり、具体的な「支援」というものを理解できており、支援される子の気持ち、親の気持ちも理解できるであろう、とのことらしい。形式上、履歴書を書き面接も受けてもらうけどもし受けてくれるのであれば採用するつもりでお願いしたい、との事。このとき、私は先に書いた「療育指導員」にすでに履歴書を送付済みだった。正直、迷った。私は幼い頃に漠然と抱いた「社会的弱者のために働きたい」という望みを持っていた。某福祉大学の入学を希望していた時には漠然としすぎていたがのび太が発達障害であり、療育に通うようになり、「ああ、ここが私の望んでいた場所だ」と実感した。あの時、諦めていなければ、私はここにいたはず。でも、導かれるようにしてここへ来たのは運命かもしれない・・・と、思っていた。だから「療育指導員」の求人を見たときに旦那にメールで了解を取り、その日のうちに履歴書を送った。そんな矢先の「学校支援員」のお誘い・・・で、よーく考えた。というか、よーく考えなくても結論は出ていた。私は「学校」という場所がNGなのだ。「学校」という場所にトラウマを抱えているのかもしれない。私にとって「学校」という場所は重く辛く切ないだけの場所だ。今、のび太の参観日に行くのも辛いのに毎日、学校に通うことなんて、無理。・・・ということで、お断りした。実に、残念だけど。「社会的弱者」である配慮を必要とする子供達のために力になって支えてあげたかったけれど。そして、私を信頼して「学校支援員」という大きな役割を与えて下さろうとした方、本当にごめんなさい。そして、私を見込んで声をかけてくださり、ありがとうございます。そのこと自体、とても光栄ですし、生きていく励みにもなります。だけど・・・・・やっぱり、無理だわ。今更、毎日、「学校に通う」ということは・・・(汗)そんな、私の3月の出来事でした・・・