当直明けに例によって当直室で昼飯を食べていたら、テレビで新卒大学生の就職難について語っていた。ちょうど「ゆとり教育」で育った人たちが新卒大学生として社会に出ようとしている、まさにそのときに就職難が重なってしまったとのこと。就職難も外在的な要因ばかりではなく、ゆとり教育世代ゆえの内在的な原因もあるとの教育評論家のコメントもあった。いわく、彼らは自分がどうしたらいいか分からないんじゃないかと。これまで大人の意向に逆らわずに生きてきた故にと。この新卒の人たちも気の毒だと思う。社会に出ようとしたその時点で既に、彼らは「ゆとり教育世代」として語られている。本人の具体的な能力や意思以前に、「ゆとり」というラベルで世代ごと一括されてしまっている模様。スタート時点で自分の責任ではないビハインドを負わされている。なんだかこれは新たな差別なんじゃないかとさえ思う。しかも彼らのゆとり教育と併行して行われた経済政策の結果がいまの不況と財政難だ。就職難の対策は景気回復とワンセットだろうし、いまの状況で十分な対策が可能だとはなかなか思えないけれど、でもその言い訳に「彼らはゆとりだから」と言われそうに思える。就職難は社会的にも憂慮するべき事態だとは分かってますけど、それ以前にこの世代は使えないから雇わないんです、云々。たとえそのような偏見をはねのけて就職できたとしても、古来から新人は失敗を重ねて成長するものなのに、その失敗すらも「ゆとり」故のこととされて、指導不十分なまま早々に諦められるんじゃないかと思う。その結果、見放されて挫折から回復できないまま早々に職を離れる若者が多発するんじゃないかと危惧する。それもまた「また我慢のきかない根性無しのゆとりが逃げ出しやがる」「仕事はそういうものではない」「不毛な自分探しをしおって」云々と語られるんだろうと思う。そんな正義感に満ちあふれたことを書く私も、テレビの特集に出ていた若者の顔を見てると、なんだかこいつら使えそうにないなという印象を受けてしまって、あまり偏見から自由ではないなとの自覚はある。今はまだ医学部生であろうゆとり教育世代の皆様には、新生児科ではそういうことは言わず丁寧に指導するからぜひ新生児科に来てくださいね。と多少棒読み気味に付け加えて本稿はおしまい。