最近は自閉症のお子さんの親御さんと交流する機会が多くなってきた。そんな時によく「ト ッ ト夫妻は強くて明るいわ~!」と言われる。カッコつけて返答するなら「僕達が弱いと子供達の成長の妨げになる。まだまだやけどもっと強く明るく支えていくつもりです。」となるんだろうが実際のところんなもん育児書とか教育の本どおりの子育てちゃうんやから先のことくよくよ考えててもらちがあかん!明るく気楽に構えとかんとやっとれるか!である。もともとひなママはメンタル面は強靭なので素であんな感じなのだが僕の場合はメンタル激弱なのでひな坊の診断が出てから三日三晩泣き続け来る日も来る日も塞ぎこんでろくに食事もせず酒を呑んでは自分を攻めて自暴自棄な日々を送っていた。そんな時に前に一度救われた歌に再び救われた。男達のメロディー by SHOUGUN今から14年ほど前に「パニック障害」という病気になったことがあった。当時、往診治療を専門にしていた時期があって車で専用のベッドを運び自宅にお邪魔して治療をしていた。ああ、僕は整体師なんです。その日も普段と変わらず高速道路を走っていると突然胸に締め付けるような感覚があり次の瞬間「ガツン」を胸を叩かれたような痛みが走った。呼吸は乱れ指先、舌先はしびれハンドルを握る感覚が無くなった。息をするのもしんどくなり薄れてゆく意識をなんとかこらえサービスエリアに車を滑り込ませた。そのサービスエリアにはレストルームという長距離トラックの片が仮眠を取るような施設があり壁伝いになんとか入った。入るや否や受付の人に「あんた!顔色悪すぎる!救急車呼ぶで!」といわれて病院に担ぎ込まれた。病院に付いてすぐに診察室のベッドに寝させられ原因が解らないまま入院することになる。CTスキャン・24時間心電図・血液検査・ほか多数検査をするがどれも異常なし。診断結果は「ストレス」んなあほな!ストレスであんなパンチの効いた発作がおきるかいな!と思いながら言われるがまま退院。退院してからも事あるたびに発作が襲う。トンネルの中高速の渋滞エレベーター電車クラブ(当時はディスコという(笑))フェリーパチンコサーフィンでアウト(沖)に出た時映画館関西で名のある病院を20軒ほどまわったが原因わからず。ついに家から一歩も出れなくなってしまった。完全に引きこもりになってしまう。昼と夜が逆転し友達・彼女(ひなママ)とも連絡を取らずテレビ見ながらお酒を呑む毎日。呑んで酔っ払うと楽でそんな生活を3ヶ月ほど送っていたある日夜中のドキュメンタリー番組をなんとなく見ているとその内容がなぜか気になった。さらに見ていると脳天を打ちぬかれた!「ん?俺これやん!」と夜中に叫んで飛び上がった。内容は「パニック障害」という不安感を主にする精神疾病でこれに悩まされている人がたくさんいるが周りに理解されないため困っているというまさに僕自身を取り上げられているのかと思うぐらい全く同じだった。他人に言っても「そんなん気のせいや。」といわれ親に話しても心配はしてくれてるのは解ったが「鬱」と思い込み理解はしてくれない。父親に関しては「サボりたい病や!お前は!」と言われる始末。夢も希望も無い生活に疲れていた時に一筋の光が見えた気がした。その番組でそれを専門に扱っている心療内科があることと「パニック障害」で悩む人のサークルがあることが解った。早速、次の日にその病院に駆け込み診察を受けた。診断名「パニック障害」やはりである。今は薬のいろんな処方の仕方がありSSRIという徐々に増薬して発作が減ればそれに合わせて減薬という治療方法を進められ治療開始。一ヶ月たち二ヶ月たち待てど暮らせどあの「死」の恐怖はぬぐいきれず医者曰く「これに関しては特効薬というのが無いんですよ。どの治療が合うのかどれぐらいで効いてくるか完治するのかしないのか。環境を変えてみるのも一つの手段です。云々かんぬん。」病名はわかれど変化なし。途方にくれる毎日。引きこもる毎日。約一年こんな生活を送る。そんなある日あの番組でやっていたサークルを思い出しメモ書きしてあった場所に連絡をとり参加してみることにした。カウンセリングの人に話を聞いてもらったり同じ症状で悩む人と話をしたりしたが結局の所、傷の舐めあいみたいな感じでほとんど収穫なし。鼻ピアスヘソピアス全身ピアスだらけの若者もいれば半袖からチラチラ見えるやらしいタトゥーの奴、全身PINK HOUSEのブリブリの必死な30代女性病んだ人だらけやと思っていたが案外普通な人もなるんだなぁというちっぽけな安心感が収穫といえば収穫か。二回目行けど変化なし。三回目行けど変化なし。その帰りの運転中にFMラジオから流れてきた曲に引き込まれてしまった。それが男達のメロディーだった。僕ら世代なら聞き覚えはあると思う。俺達は天使だ!かなんかの主題歌で確か小学校一年ぐらいに流行ったドラマだ。当時は子供すぎて歌詞の意味を解らないままなんとなく聞いていたんだろう。断片的なフレーズしか残っていなかった。走り出したら何か答えが出るだろうなんて俺もあてにはしてないさしてないさまさに当時の僕だ。病院に行ったってサークルに行ったってたいした変化がないことぐらい解っていた。男だったら流れ弾の一つや二つ胸にいつでも刺さってる刺さってる誰だって悩みの一つや二つは持ってるもんなぁ。そりゃそうや。Pick Up Your Head Throw Away Your Blue'sどうせ一度の人生さぁThe More You Give Babe the Less You Lose yeah運が悪けりゃ死ぬだけさ死ぬだけさ!!!そうか運が悪かったら死ぬだけか・・・ただそれだけのことか・・・なぜこんな簡単な事に気付かんかったんやろ・・・誰だっていつも死と隣りあわせなわけで10秒後に事故で死ぬかもしれない。50年後に寿命を迎えて死ぬかもしれない。たったそれだけのことなのである。自然と涙があふれ出た。止まらなかった。吹っ切れた気がして体が楽になった。正直、自殺まで考えた。外国で人知れず死のうとワーキングホリデーに行く手続きまでした。いろんなことから逃げたかった。でもその歌を聴いて今までのことが馬鹿らしく思えた。それ以来一回もパニック発作はでていない。なんやったんやあの苦しんだ一年は・・・これが一回目に救われた出来事。後編に続く。