「厄介者は発達障害者」の風潮について。

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Nice!

前回の記事で書いたような事(厄介者を発達障害者としてしまう風潮)は、実はかなりあります。発達障害をよく知らない人が、厄介者の代名詞として「発達障害」「アスペルガー」という言葉を容易に使っているのもよく見かけます。(ネット上では頻繁に)「アスペルガー=想像力の欠如」という中途半端な知識だけ持っていて、想像力の欠如=人の気持ちを想像できない=人に迷惑をかけて平気な人・思いやりの無い人・厄介な人=アスペルガー・・・と容易に結びつける。理解しようともせずに勝手な思い込みでアスペを悪者扱いしているのは嫌な気持ちにはなりますが、いちいち腹を立てても仕方ないので、放っておくしかない。「人の想像力にケチつける前に自分の想像力を心配したらどうですか」とでも言っておけばいい。一方、発達障害を理解しようと努めている人の中にもそういう傾向があるのです。前記事の親の会の人達もそのケースです。私はよく発達障害のブログ村を経由して多くの方のブログを拝見していますが、こういったブログを書いている方の中にも、時々そういう記述を目にします。標準から外れている人を発達障害者と認定したりとか。ブログ自体は大変真面目なもので、ふざけた気持ちで取り上げているわけではないし、発達障害を理解しようと努めているのが窺われる。だからこそ、そういうことを書いてあるのを見ると、なんだかとても悲しくなるのです。素人が他人の発達障害を疑ってはいけない、と言ってるわけではありません。そもそも初めはみんな、「・・・かもしれない」という疑いから入っていくものだと思います。でもそれは相手が親族だったり同僚だったり同級生だったり、長く接したことのある相手なら分かるのです。私も自分の母や兄のことを「アスペだと思う」と書いた事がありますが、長い年月一緒に生活し、数々の言動を知った上で判断したものであり、けっして一度や二度のおかしな言動だけで判断したわけではありません。だけど初めて会った相手や、メールや電話でしか接した事の無い相手について発達障害者と決めつけてしまうのはどうかな、と。そういう記述を何度か見た事があります。愕然としました。前記事の親の会の場合でいいますと、「こんな非常識な人がいるんですよ」という話を又聞きしただけで、実際に会ったことも無い人達が、「その人はアスペルガーでしょうね」ということで納得していたし。長くなったの続きは次回に。