私が診断に至るまで③~信じられ育てられた人と自分の対比~

6
Nice!

縁があり、高校の同級生だった旦那と結婚することになる。「同級生と結婚するなら○くんがよかったのに」と、自分のお気に入りの私の同級生の男子の名を出して、訳のわからないことを言う母親。旦那は高校生の頃からの印象だが真っ直ぐで、精神的に自由に生きている感じがした。きっと、私にはないものへの憧れのようなものを感じたのかもしれない。結納の席で、何気ない一言に私は親と自分の関係を改めて突きつけられてショックを受ける。義母が、「高校生の時は、しょっちゅう自転車がパンクしてね~ そのたびに『修理代500円』って言われて、 ほんとにパンクなの?って思いながらも、 でも、まあ、この子がそういうならそうなんだろうって、 500円渡してたけどね~」つまり、義母は100%息子を信じて育ててきた。私などは本当にパンクしても「パンクしたから500円」なんてとてもじゃないけど親に請求できなかった。「嘘。そうやってお金を騙し取ろうとしてるんでしょ?」といわれるのが目に見えていた。私はとにかく全てにおいて疑われていた。部活の練習試合に行く交通費が欲しいと言えば、「学校からの文書とかなければあげない」「練習試合とか言って、本当はどこかの男と 会ったりしてるんじゃないの?」部活の用具を買うときも、「本当に○○部でやってるの? お金ばっかりかかって、○○部で食っていくの?」面倒くさくなって、部活は止めた。こんなやり取りを3年間、続ける気力はなかった。部活、金銭面だけではない。全てにおいて私は信じてもらえなかった。全ての言動、行動は疑いの対象でしかなかった。そんな風な親子関係しか知らなかった私にとって、「嘘かもしれないけど息子が言うなら本当だろう」と、信じて疑わない親子関係にショックを受けた。ああ、だから、旦那は誰かを疑うこともないんだ、信じられて育てられた人は、疑うことをしないのだ。それに引き換え、嘘をついたことすらないのに親に何でもかんでも疑われて何一つ信じてもらえず育てられてきた私はあらゆる人を疑って、心の裏ばかりを考えて本心を見せないように生きている。この差に私は改めてショックを受けた。