「私は私、誰になんと非難されようと、 私は自分の思ったように行動するし、 誰にも頼らず、誰にも文句を言わせず、 自分の好きなように生きていく」と、強い信念を持っている強靭な精神力の方はそれでいいさ、と、思うのだが、私たちは絶対に誰かと関わって、誰かに支えられ、誰かと共に生きていくのだ。だから、「私はアスペルガーという障害があるんです だから、多数派の気持ちが理解できない 思っていることを正直に言えないなんて、 人の目を意識してばかり、 心にもないお世辞まがいの言葉で 上っ面をごまかして人と接するなんて そんなこと、出来ません 正直に話しただけで、どうしてそんな風に非難されるのか、 全く理解できません」と言うのは、いかがなものか?と思う。「発達障害を知ってほしい、理解して欲しい 私はアスペなんだから、 お世辞が言えなくて誰かを傷つけたとしても 許されるでしょ だって、障害なんだから どうして私ばかり非難されなくちゃいけないの? どうして障害を理解してくれないの?」という風な話は、たまに耳にしたり目にしたりする。じゃあ、あなたは多数派の世界を理解しようとしましたか?どうやら、多数派は、こういうとき、本心を言わないらしい、こういうときは、○○するらしい、という分析は出来ていても、「だからといって、そんなことはできない だって、私、アスペルガーなんだもの」という。私には傲慢にしか思えない。そして、「私は一人でいることは平気 だって昔からそうだった、誰にも理解してなどもらえないんだ やっぱりこの世の中、どうかしてる」と、開き直る。郷に入っては郷に従え、だよね。アメリカに行って「どうして箸を使わないんだ!どうして日本語が通じないんだ」って一人で憤慨しているのと同じにしか見えない。私たちを理解してほしかったら、まず、私たちが誤解されないように生きていかないと、と思うのだ。ここの社会の中で生きていく以上、面倒でも、不文律のルールやマナーや気遣いなどを知って実行していかなければいけないんじゃないか~なんて、私は思います。だって、私はいろんな人と関わりたいし、そうでなければ生きていけないことも知っているから。ま、人それぞれ、だから、他の人がどう考えようと勝手だけどね。