「クラスも班も、なかなかいい感じだよ」こちらが尋ねてもいないのに唐突に言い出したのび太。新学期が始まって、すぐに班替えがあって、そのことらしい。「へえ~いい感じなんだ~よかったね~」先月末の担任との面談の時、C先生がおっしゃってた。C先生「クラスでドッヂボールが流行りだしちゃって、 休み時間に男子も女子も混ざってやってるようだったんです。 まあ、やりたい子だけやる、っていう感じで。 のび太くんは始め、やっていなかったようなんですよ。 だけど、ある日、○くんが 『先生、のび太くん、すごいんだよ。 ドッヂボール、スゴイ近いところから当てられて痛そうだったのに 全然泣かないで平気な顔して。 でね、投げるのもキャッチするのも上手くなって来たんだよ』 って教えてくれたんですよ。 私、のび太くんが、いつの間にドッヂボールやり始めたんだろう、 って思って、まず、それがビックリして。 で、○くんがそう言うから、どれどれ~と思って 休み時間に見てみたら、本当にのび太くん、 とっても上手になっていてビックリだったんです。 きっと誰かがうまくのび太くんを誘ってくれて、 やってみたらすごくうまくなったって評価してくれて それを私に報告してくれるっていうのも嬉しかったんです。」この子たちが去年、のび太を散々、苦しめてきた子たちとは思えない。元々、人間と言うのはのび太が言うように「誰も悪い人なんていない」んだ、と実感する。4年生の頃は軌道修正してくれる大人が存在しないクラスだった。マイナス方向に逸れても、見てみぬフリの大人(担任)に子供たちの心は、どんどんマイナスマイナスへとなだれ込むように流れていった。そして矛先は、マイナス方向に流れている空気を読めずひとりプラス向きだったのび太へと向いていったのだ。子供たちだけではまだ、こういう流れを止める力はない。そして、流れ出したら、速い。去年のタイマン担任の被害者のひとりだったのび太。余談だが、去年、6年生だった子のお母さんから聞いた話だがその6年生のクラスが移動教室でのび太のクラスの前を通りかかった時教室から出て好き勝手に遊んでいる子を注意して、そののび太のクラスの担任に「先生、こいつら遊んでるよ」と、伝えたところ、のび太の担任は「いいからこのクラスのことはほっといて!」とその遊んでいる子供たちは無視したまま授業を続けていたらしい。・・・ま、そんな教育者としても人間としても訳のわからない人だった。産休代用教員だったが、要するに全てにおいて頼まれ仕事的な気持ちだったのかもしれない。「あ、そういえば、4年の時の担任のK先生、 いなくなったよ。 休んでいたA先生が赤ちゃん産んで戻ったから」「ああ!A先生復帰したんだね。 ・・・正直なこと、言っていい? お母さん、K先生、いなくなって、ホッとした・・・」「・・・うん、ぼくも。 お母さんもきっと同じ気持ちだと思った」「のび太も?」「うん。ボク、学校でK先生に会うと もやもやしてすごく心臓がドキドキするんだ。 だから、もう会いたくないと思ってたから。」「そうだよね。嫌な思い出だったね。 だけどね、C先生がのび太くんがいろんな人の気持ちを 考えられるようになったのは きっとそういうつらいこともあったからだと思う、って。 悲しい経験をしたけど、無駄じゃなかったって言ってたよ」「でも、やっぱりあんな気持ちになるのは 絶対に嫌だよ!もう絶対に嫌だ!」そりゃそうだ。お母さんだって、のび太にあんな思いは二度とさせたくない。担任次第でこんなにも変化する子供たち。何と言うか、素晴らしくも思えるが、恐ろしくも感じる。担任だけは子供は選べないからこそ、「教育」の怖さを感じるのだ。まあ、いい。過ぎたことだ。なんてったって、今は「いい感じ」なのだから。