「夢は見るものではない、叶えるものなんだ!」「夢に向かってがむしゃらに頑張れば 絶対に叶えられるんだよ」・・・・・と、よく、言われていますが・・・・・私は、このような言葉にどうしても嫌悪感を感じてしまう。大人になっても夢見がちで上っ面のきれい事を並べただけのような言葉が大好きな母親が甘ったるい現実感の無い言葉を言う自分に酔いながら私に呪文をかけるように育てられた。「頑張れば夢は絶対に叶う」とも言われた。それが全くつかみ所も無く、虚無的で、母親の実生活と言葉のギャップを疑問に思いながら心に響くことの無いまま聞かされていた。成果が無いと言うことは母親にとって「あなたの頑張りが足りない」という評価になる。母親にとって私は常に、「器用貧乏」で「100%力を出さない」子であった。どんなに精一杯やっても、母親の望む結果の出せない私は常に否定されて育った。私が可愛げのない子供だったのかも知れないし、母親が単なる「きれいな言葉に酔う」だけの大人だったのかもしれない。いづれにしても、そういう甘ったるい言葉を言われれば言われるほど、虚しくなり、悲しくなり、生きていくことの儚さを実感した。私は真実が知りたかった。そして誰かに本当のことを言って欲しかった。というか、自分と同じように感じている人に言葉を発して欲しかった。高校生になってある本を読んだ。「目的地が素晴らしいかなんて本当は誰も知らない 道のりの険しさを自慢してもしょうがない 価値があるのは、ここまで歩いた君の足だけ」(正確な文章も作者も忘れてしまいました(汗))そうなのだ。夢見ることが素晴らしいとか、それに向かって頑張ることが素晴らしいとか、そういう曖昧で漠然とした言葉より、大切なのはキミだよと、それも、歩いてきた君の「足」に価値がある、と言ってくれて嬉しかった。もちろん、その「足」にも感情がある。常に「ダメな足」であった私を始めて救ってくれた言葉だった。夏休みになり、出来るだけ毎日プールに通うと頑張っているのび太。5年生の目標は25メートルだが目標は遠く、水泳が苦手なのび太。1,2年生の時は「プールは嫌い」と言って一度も通わなかったのび太が、「苦手だけど頑張って練習する」と毎日、真っ黒になって頑張っているのび太。こんなのび太を私は人間として尊敬しています。そして、私はのび太にこう話しています。「どんなに頑張っても頑張っても 叶わないこともあるんだよ。 全ての人が 思い通りに夢を叶えられるわけじゃないんだ。 だけどそれは決して頑張りが足りないわけじゃない。 やりたいことは悪いことじゃない限り 何でも納得いくまでやってみたほうがいい。 それでダメでも決してのび太が悪いわけじゃない」夢の無い事を言う母親かもしれないけど、本当のことを伝えたい。そして、夢に敗れて傷ついても目標を果たせなくていらだったとしてもどんなのび太でも、間違いじゃない、素晴らしいんだよという事を、伝えていきたいと心から思う。