夜明けの光

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Nice!

夕べ、担任になったC先生からお電話を頂きました。「配慮をお願いする文書」、読ませていただきました、とのこと。しかし、どの先生もこの文書を読んでの第一声は「お手紙に書かれているような心配な雰囲気は 学校では全くないんですよ~」ということ。そうだろうよ。のび太はそれだけの涙と汗を流しものすごい努力をして、あなた方の世界に合わせてやっているんですよ~・・・と、いつも心の中で絶叫していたのだ。C先生も、同じ第一声だった。でも、ここで思い返してみると、あの文書は今まで担任になった全ての先生に渡しているのだが、直接、お電話を頂いた先生はC先生が初めてだった。1~3年の担任は連絡帳に「読ませていただきました。・・・云々」などと一筆、書いてくださった。しかし、去年の担任(途中に産休に入った先生も、代わりの先生も)は何の音沙汰も無かった。受け取ったのか、読んだのかさえもわからなかった。だから、お電話をいただけただけでかなり嬉しかった。C先生の話によると、昨日、学活で「学級目標」を話し合ったらしい。そのとき、「相手の気持ちを考えるということ」について話が及んだ。で、次々に「~~されて嫌なことがあったから私はしない人になりたい」とか「嫌なことをしたくないのにしてしまうのは 逆に自分がいじめられたら嫌だから その前に誰かに嫌なことをしてしまったりする」などと、かなり突っ込んだ学級会だったらしい。で、5年生始めての宿題の「C先生にお願いしたいこと」に「去年すごくいじめられたのでいじめをなくしてほしい」と書いたのび太を思い出して、「のび太くんも、嫌なことがあったんだよね?どんな事?」と質問したらしいのだがうまく答えられずにいたら、他の子たちから、「のび太くんは名前を変な風に変えて呼ばれたりしてかわいそうだった」とか「嫌な言葉をしつこく言われていた」とか「のび太くんは何も悪くないのに意味も無くからかわれていたことが多かった」と出てきたらしく、「そういうことはこのクラスでは絶対に許しません」と、話し合いましたということでした。4年生の頃は、のび太が散々いじめられていてもクラスで話し合うということも無く、とにかくその場で適当に片付けてしまおう、という先生のいい加減な対処が嫌がらせを加速させてしまっていたと思っている。第一、「毎日のようにのび太くんはいざこざがあって・・・」とか「○くんが『いつもNくんがのび太くんをいじめて可哀想』と教えてくれたんです」などという状態であれば、クラス全体の問題として話し合いが持たれて当然のはずだ。それを「ケンカ両成敗」などという面倒くさいものを無かったことにするかのような終わらせ方をしていた先生の投げやりなやり方がのび太を苦しめたし、いじめる側の子たちが発信するある意味のSOSをスルーした責任は重いのだ。それに比べて、新学期3日目にそこまで突っ込んだ話し合いができるクラスというのはやっぱり先生の力量だろう。そして、C先生は「今日、こういう話し合いができたことで 今日こそが本当の意味で5年☆組になれた気が していたところに、のび太くんから帰りに お家の方からのお手紙を頂いて いろんなことを考えさせられまして、 本当に感謝しております。ありがとうございます。」とも言ってくださいました。「正直申しまして、私は発達障害に関しては不勉強でよくわからないのが正直なところです。私も勉強させていただきたいですしちょっとでも心配なことがありましたら何でも仰ってください。一緒に考えていけたら嬉しいと思います」ううう・・・・・(涙)私は何だか「この先生なら絶対に大丈夫」と、確信を持ってしまった。どの先生方も仰っていることに差は無いのだが何だか受話器から伝わってくる何かに人間的な暖かさを感じてしまった。のび太は基本的に人に恵まれている。いつも、つらいことがあっても絶対に救ってくれる人がいる。きっと、C先生と、C先生のクラスの子は夜明けの光だ。雨上がりのお日様だ。単なる直感でしかないけどね。信じて今日ものび太を送り出しました。