子供の食べる物が熱くないか、硬すぎはしないかと親はちょっと食べてみる。赤ちゃんの頃なら当たり前。少し大きくなってからでも確認を兼ねて子供の食べる物をチェックしてみることはよくある事だろう。だから当然な感じで、つい子供の食べ物は自分の管轄下にある気になってしまう。ベンと2人でのランチの時、ケチ心を出して1つしか頼まなかったフリーリフィル(おかわり自由)のソーダを飲んでいたベンに「少し飲ませてくれ」と頼むと、おかわり自由なのにもかかわらず「Don’t drink too much」と言う。「何だ、こいつはケチな奴だな」と自分のことは棚に上げて飲んでいると、ベンはじっとコーラを見ている。意地悪心が湧き出て、ストローから見えるコーラが途切れないように飲まずに吸い込んでいると、「STOP ! You drink too much」と言い取り返しに来た。自分の手元に取り戻したソーダに対してベンが最初にしたのはナプキンを使って僕の飲んだストローの先を拭くことだった。続いて鼻を近づけて匂いまでもを確認している。「何だよ、そんなに不潔な事したわけでも無いのに、大袈裟だな」と思うのと同時に何だか親なのに、他人扱いされた感じが心に涼しい。そういえば、僕も似たような事を母親にしたことがあったな、と思い出したのは、やはり母が僕の飲んでいたお茶を飲んだときに、「何で僕のから飲むんだよ〜」と言った時の記憶だった。「何で〜、いいじゃないよ〜」と少し動揺気味の母を見て、僕は逆に自分が凄く申し訳のない事を言ってしまった気になり、母が気の毒に思えてしまったのだったが、それもちょうど今のベンと同じ中学生位の年齢だったように思う。僕も少し動揺したのか、妻に話をすると「あはは、でもそれでセルフ・ハイジーンの問題は心配なさそうね」と明るく答えてくれた。Self Hygieneは、自己の衛生感覚についての意識がしっかりしているかを発達の過程で常にチェックされている事項で、学校でも家庭でも事あるごとに注意している。確かに人の口をつけたストローが不衛生であると理解している点は素晴らしく、喜ぶべき出来事なのだった。少し寂しさの残る後味を感じながら、いまだに僕の飲み物を「口着けて無いから、ほら、ね、見て」と言い、いつもグラスから口を離して飲む母親の事を不憫に思っていた。