小さいころののび太は、遊んでいて転んだとしてもその場で泣き続けるだけだった。他の子供を見ていると、転んだりした場合、どうやら母親を求めて、遠くからでも「ママ~!ママ~!」と叫ぶとか、泣きながら母親に抱きついてくるとか、とにかく母親に甘えてくるようだった。うらやましかった。私ものび太に「ママ~ママ~」なんて泣きながら駆け寄ってこられて飛びついて抱っこなんか要求されてみたかった。当時、のび太にとって私=母親は「自分が生きるために必要」な人でしかなかった。要するに「水」みたいなものだ。人間にとって水がなければ生きていけないがだからといって「水」を愛していたり、「水」をいとおしく思ったり、「水」にぬくもりを求めたり、甘えたりしない。なくてはならないものではあるけれどもそこに愛情や感情などといったものは、普通、ない。当時ののび太にとって私はまさしくそんな感じだったと思う。「どうやらこの人が自分の世話をしてくれて ご飯やおやつを与えてくれる。 だからこの人が必要みたいだ。」のび太が幼稚園の頃、私は手術のために10日間入院しなければならなくなった。私も小5の頃、実母が入院したことがあった。不安だった。母親の病状の心配ではなく、母親が入院して生活に変化があることが不安だった。ちょうど転校した時期とも重なって母親の病状を心配する余裕など正直言って当時の私にはなかった。学校生活も家庭生活も大きく変化するなんてそれに対応できるかどうか、どうしたらいいのか、そんな気持ちだけでイッパイイッパイだった。そして、私も体調を崩した。元々、生まれたときから小学校卒業する頃までは自律神経失調症とも言われていたからここで体調を崩すのは当然ともいえる。だからこそ、のび太に私と同じような思いをさせられない。義母に家に来てもらってのび太の世話をしてもらった。義母に朝の支度の段取り、着替えの段取り、おやつの時間、夕食の時間等、細かく説明しておいた。もちろん、のび太の障害のことも明かして、それゆえに「いつもどおり」の生活をさせて欲しいことも話した。考えに柔軟性のある義母は私の作った「のび太のルールブック」と「のび太の取扱説明書」を読んで、「今まで大変だったんだね」とだけ言って、お願いしたとおりに過ごしてくれた。「ごめんね、のび太。お母さんがいなくて寂しい?」「全然、寂しくないから大丈夫」強がっているわけじゃない。本当に「寂しい」という気持ちはないのだ。というか、「寂しい」という気持ちがどういうものか、わからないのだ。それは自分も同じ道をたどってきて今だから理解できる思いでもある。他の子だったら、おそらく特に寂しくなくても「寂しかったけど大丈夫」とか「ずっとママのこと考えてるから寂しくないよ」とか幼いながらも気の利いたことを言うらしい。うらやましい。しかし、改めて人間と言うもののすごさを思う。4,5歳にして「相手の気持ち」を察して「こんな風に言えば相手は喜ぶ」という事をすでに会得し、実践できるのだ。本来、そういうことができる方がすごいことであって、素直に「全然、寂しくない」と言うのび太の方が子供らしくも思えたりするから不思議だ。それにしても、幼い頃、母親が入院しても母親の病気より自分の生活の方が心配だった私が母親になり、自分が入院して「全然寂しくない」と言われてちょっと寂しい思いをするなんて、皮肉だ。今でも、のび太は「母親」である私を「水」のように思っているのかどうかはわからない。「愛情」や「感情」や「気持ち」といった目に見えないものの実感を得られるように、実態のないものを感じて信じられる手本となるようにただ、ただ、のび太を受け入れ、愛し続けるしかない。