生れたばかりの赤ちゃんは数分間は泣き続けるものだと思っていた。大声で泣くことで肺が開くのだと思っていた。だから帝王切開に立ち会ったときも、赤ちゃんを受け取ったらラジアントウォーマーにのせて羊水を拭き取って、あとはひたすら泣かし続けていた。さいきん、とあるきっかけがあって、帝王切開で娩出されたばかりの赤ちゃんにカンガルーケアを何例か行った。体を拭いて気道の安定を確認しだい、お母さんの胸のうえに赤ちゃんを載せる。むろん蘇生術が必要な赤ちゃんにそんなことしている余裕はないが、呼吸も安定して緊張も良い、アプガー1分値をカウントしたらあとは5分まで暇を持てあますような元気な子たちを対象として。赤ちゃんはお母さんの素肌にのせるとぴたっと泣きやむ。今まで泣きわめいていたのが嘘のように。息が止まったのではないかと不安にさえなるが、しかし赤ちゃんを支えた自分の手からは赤ちゃんの呼吸運動がしっかり伝わってくる。赤ちゃんの顔をみてもチアノーゼはない。あれはお母さんから引き離されて泣いていたという一面もあるのかも知れないと今さら思う。彼らはお母さんの何に反応して泣きやむのだろう。匂いという説もあるが、なんだかそういう機械的なお話に還元して語るのは野暮なような気もする。