戦艦大和ノ最期 「コノ大馬鹿野郎、臼淵大尉」

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Nice!

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)吉田 満 / / 講談社ISBN : 4061962876著者吉田満氏は戦艦大和の最期の哨戒直であった。大和の艦橋の、艦内の各所からの伝声管や電話が集中する場所に居て、各所からの報告を刻々と艦長や艦隊司令長官に伝達する役目である(艦隊司令長官は彼の目の前に座っている)。つまり彼は大和が沈没するまでの一部始終を現在進行形で知る立場にあった。そういう部署に、このような文才を得た人がまさにそのときに居て、生き残り、本書のような証言としての価値を超えて古典文学として生き残るべき文章を遺したという点、何らか人智を越えた意志を感じざるを得ない。おそらく戦艦大和についての最初の証言であろう本書に、すでに、戦闘にかんして大和がいかに劣悪な兵器であったかが証言されている。それでどうして現在も大和といえば日本の誇る当時最新の兵器という好評を得ているのか、不思議でならない。更ニワガ機銃員ノ、過量ナル敵機、相次グ来襲ニ眩惑セラレタル事実モ蔽イ難シ宜ナルカナ、二十五粍機銃弾ノ初速ハ毎秒千米以下ニシテ、米機ノ平均速力ノ僅カ五乃至六倍ニ過ギズカクモ遅速ノ兵器ヲモッテ曳光修正ヲ行ウハ、恰モ素手ニテ飛蝶ヲ追ウニ似タルカ機銃の弾丸の速度が遅すぎてまるで当たらないというのである。もとより、イージス艦ならまだしも、戦艦から飛行機を人力の照準で撃つという攻撃法がそもそも有効なのかどうかという議論もあるくらいなのに、まして機銃の性能が劣悪では話にならない。しかも、甲板に機銃員がむき出して居る限り、大和はご自慢の主砲が撃てないのである。撃てば爆風で機銃員が海に振り落とされるからである。そのような劣悪な兵器が、零戦とならんで、なにかというと日本の伝統精神の象徴のように語られているのも、また、人智を越えた誰かさんの冷笑を感じる。それはそうと、大和の最期にさいして、ある登場人物について私はひとつ誤解していたので記しておく。最近頻発セル対空惨敗ノ事例ニオイテ、生存者ノ誌セル戦訓ハヒトシクコノ点ヲ指摘シ、何ラカノ抜本策ノ喫緊ナルコトヲ力説スシカモコレラニ対スル砲術学校ノ見解ハ、「命中率ノ低下ハ射撃能力ノ低下、訓練ノ不足ニヨル」ト断定スルヲ常トス ソコニ何ラノ積極策ナシ砲術学校ヨリ回附セラレタル戦訓ノカカル結論ノ直下ニ、「コノ大馬鹿野郎、臼淵大尉」トノ筆太ノ大書ノ見出サレタルハ、出撃ノ約三ヶ月前ナリ臼淵大尉といえば、さきの映画でカズシゲ氏が熱演されたという(けっきょく観てないが)青年士官である。唯々諾々と死ぬのが本望のおめでたい人かと思っていたがどうしてどうして。いろいろな意味で深くて篤い人だったようだ。「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ彼のこの台詞ばかりが注目を集めがちで、国のための自己犠牲の見本みたいに称揚されているが、しかしそういう人たちが主張する改憲ってのは「私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レ」ているように私には思える。ネタにされるのは彼にとっては大いに迷惑だろう。それこそ「コノ大馬鹿野郎」と罵倒されそうに思える。