暖かくなってきたというのに、こんなに仕事が少なくて良いのだろうか?季節労働者という訳でも無いのだが、僕のようなミュージシャンには時期や季節は大きな影響力を持つ。浮き沈みが激しい分、沈んだときの対策として、レストランやバーでのちょっとした演奏や、生徒からのレッスン料は欠かせないものとなるのだが、毎週演奏させてもらっていたレストランは閉店し、週末に必ず声のかかった郊外のラウンジでも、バンドを入れるのを止めてしまった。そんな訳で、ここ数年来必ず週末には何らかの仕事があったものが、ここ2、3ヶ月は殆ど家で過ごすようになっている。勿論、金銭的にも緊迫感があるが、プールしてあるお金を注入して何とか凌いでいる状況。収支がマイナスになるのは気分が良くないが、実はそれよりもずっと精神衛生に悪いのが、楽器を人前で弾けない事なのだ。あるミュージシャンが雑誌インタビューで言った。「楽器を演奏しないでいても平気なら、ミュージシャンにはならない方が良い、でも演奏しないと体調が悪くなるようならミュージシャンになるしかない」どうやら、演奏する事は体の機能の一部となってしまったようで、面白いことにそれは人に向けたものでないとうまく発散出来ない類いのもののようである。自分から出たメッセージがくるりと聴いている人を回って戻ってくる。人の反応がすぐさまわかる仕事が面白く見えるのもこういう事なのかもしれない。誰だって、反応の見えないメッセージは送りたくは無いはずだ。した事→喜んでもらえる事→お礼→お金、というのはとても体に良いことで、時にはお金の部分は無くても良くなってしまったりもする。日本の新聞には細切れ雇用で所持金が100円になってしまった人の話があり、その人も自分の事を「自分のような人間」と言っていたそうだ。「僕のようなミュージシャン」「自分のような人間」それでは「のような人」が何なのかと考えれば、それは置かれた立場の低さから捨て鉢になっているようでもあり、ちょっと違ったところを歩いている人のようでもある。記事を読んだ後に気がついたのは、「のような人」の気持を精一杯仕事にぶつける事。仕事は無くても、「一日中音楽のことを考えた結果がメッセージになる」と信じて気持を落ち着かせる毎日なのだった。