別れの春は不安な春の始まりか?

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Nice!

今日、離任式だったのび太小学校。公立校の教員の移動は新聞で発表される。特別支援に理解があって、のび太を1年生から見続けてくださっていた、校長先生が転勤される・・・。ああ・・・ショック・・・配慮の必要な子たちに心を配ってくださって、暴れている子を校長室に招き入れて、理由を聞いていっぱい誉めてくださって・・・。この学校中の配慮の必要な子たちは、みんな校長先生に愛されて触れ合って認めていただいて育った。そんな校長先生がいなくなるなんて・・・特別支援も校長先生次第・・・っていうし・・・来年度は一体・・・などと、のびパパと話していた。しかし・・・・・見落としていた・・・・・!!!!!同じクラスのNくんママから電話・・・「KP先生も転勤だしね〜」え?「ん?KP先生、△△に転勤って書いてたよ〜」えええええ?慌てて夕べ、数日前の新聞をチェック!ああ、ほんとだ。ああ、随分、遠いところに行っちゃうんだ〜のび太にKP先生が転勤する新聞記事を見せた。「あ、ほんとだ。」「(それだけ?)・・・ちゃんと『ありがとうございました』って お礼を言ってサヨナラするんだよ」「うん〜」のび太はこういうとき、特に感想もない。いろいろ思いはあるだろうが、表現方法もおぼつかないだろうし、すぐに実感もないだろう。KP先生・・・。思えば2年から担任で、3年でクラス替えのときも、「頼むから違う先生になってくれ!」と祈っていたにも関わらず、再び担任となった。KP先生とはいろいろありすぎて、今ここに、ひとつ思い出を書くとしても、抜粋できないほどのエピソードがわんさかある。いくら説明してものび太への対処はぶっきらぼうだった。だけど、お願いしたことは何とかやってくださった。いろんな面から見て、彼もとてもアスペチックなかおりのする人のように感じる。最近はKP先生にのび太の将来の姿を見るような気さえして、変な母親目線でKP先生を見てしまい、「ああ・・・これ以上、問い詰めたら苦しめるだろうな・・・」なんて、気持ちを抑えて話をすることに努めた。「4年生になったら、絶対に先生、代わって欲しい!!!」なんて強く強く思っていた・・・・。しかし、いざKP先生、転勤、と聞くと、ほのかに寂しさが・・・なんだかんだ言ってもKP先生はKP先生なりに精一杯、のび太に配慮してくださった。うん。どう考えたってKP先生、アスペチックフレーバーだもん・・・いっぱいいっぱいだったはず・・・で、お手紙を書きました。「2年間、手のかかるのび太に、神経質にならざるを得ない親で、ご面倒をおかけしました・・・のび太もおかげさまで毎日、楽しく学校に通えたのは、KP先生の配慮のおかげ・・・この先ものび太のような特性を持つ子供と出会うことがあると思いますがそのときにはのび太とのことを思い出していただければうれしいです・・・」などなど・・・離任式から帰ったのび太。「どうだった?KP先生とちゃんとお別れできた?」「うん!堅い握手を交わしてきた!」「(んぷぷ・・)そっかぁ〜」「女のの先生とかは泣いていたけど KP先生は泣いていなかったよ。」「ふ〜ん。でも、KP先生も心の中では泣いていたかもよ。 クラスの女の子は泣いてたんじゃない?」  (KP先生は実は女子生徒に大人気!不思議・・・)「うん。○ちゃんとか○ちゃんとか泣いてたよ」「先生、何か言っていた?」「『正しいと思うことは正々堂々と行動できる人になってください』 って・・・」・・・あえて、のび太に指摘はしなかったけど、のび太もKP先生の話をしながら涙目になっていた。「KP先生、このまま行けば4年生も担任だったのにね」「うん・・・でも、仕方ないよ。 『別れもあれば次の出会いもあるよ』って」(涙目・・・)「KP先生、言ったの?」「うん。」(涙、じゅわ〜ん)のび太はちゃんと別れが寂しい気持ちも知っているんだ。それでいいんだよ。こういうとき、泣いていいんだよ。のび太小学校に、のび太のことをちゃんと知ってくださる先生は誰一人、いなくなってしまった・・・。別れの春は、ちょっと不安な春でもある。