今の自分を苦しめる過去の自分

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Nice!

春なのに、おまけに早朝からこんな記事、書いている自分・・・ブルーです。だけど吐き出してしまうことで、気持ちが変化できることを期待して書きました。無理して読まなくていいです。独り言のようなものなので・・・いろいろ思うことがあり、気持ちの整理をしたくなった。のび太の自閉症を知れば知るほど、自分も自閉症の特長を持っていることを実感する。人とのつながりや関わり方がぎこちないのび太を見れば、自分も同じぎこちなさがあることを実感する。のび太との親子関係を見つめれば見つめるほど、自分と自分の母親の歪んだ押し付けの愛情に苦しんできたこれまでの自分を実感する。私はひどい人間だ。自分の息子を時々、見るのも辛くなることがある。自分の息子なのに。きっと息子に幼いときの自分を重ねてしまうからだ。私は最低な人間なんだ。人との関わり方を考えれば考えるほどわからなくなる。私はかなり衝動的に動くことがある。しかし、これはバクチ的なところがあり、ピッタリ状況に即しているときと、まったくもってとんでもないことになったりするときとがある。かといって一生懸命考えると、何もできなくなったり、何も言えなくなったり、慌てて行動すると、間抜けな状態に陥ったり、正直に言葉にしたりすると相手を傷つけたり、どう関わっていいか考えているうちに、疎遠になってしまったり、相手が遠ざかって行ったりするのだ。相手にとっては私は何のアクションも起こさないから、冷たい人だと思われるのだ。そして、自分の親も遠ざけている。自分の親の愛情さえ信じられない冷酷な人間だ。私とは一体何なのだろう。こんな最低な人間は、どんな意味を持って生かされているんだろう。別に死を考えているわけではない。死にたいわけでもない。だけど、「自分」というものを見つめれば見つめるほど、自分の評価が下がっていく。どうして私は自分の気持ちを押し殺して過ごしていたとき、じっとしていたんだろう。そして、明らかに自閉症的な要素を持つ私なのに、母親の目から見てわかるように壊れなかったんだろう。狂ってしまえばよかったのに。気持ちの中ではドロドロで荒れ果てすさんでいるのに、平静を装って、優等生を装って、毅然とした人間を装って・・・すべてはウソの自分だ。そして、今の自分を過去の自分が苦しめている。