2月20日から22日まで、長野県で行われた新生児関連の学会に出席した。運営も内容も、通常の学会よりも手作り感が強い会だった。運営にはやや内輪受け的な風合いが鼻についた。その方面の趣向はいかりや長介と加藤茶と志村けんが極めてしまってますし、と言いたかった。会頭が開口一番客席に向かって「おおっす!」とか言いそうな雰囲気。さすがに「駄目だこりゃ」とは言わないだろうけど。いや決してローレベルとは申しませんよ。ザ・ドリフターズの壁に素人が挑もうなんてのは凄い挑戦です。でもなあ、演じる者は自分のネタに自分で笑ってはいけない、というのは喜劇の鉄則だと思うんだが。遵守されてなかったですね。それにみんないかりや長介と志村けんの立ち位置に立ちたがるんだよね。それも鼻についたのかな。高木ブーの位置にあえて立つ人がいないとあの芸風は全体のバランスがとれないんだよね。しかし内容的にはさすがなもので、論じられる内容は自分の興味の核心をいちいち突いてきた。運営の中心になっている医師たちが、総花的な美しさなど無視して、自分たち自身の知りたいことだけを盛り込んだという、手作りの良さが発揮された観のある学会であった。「伽藍とバザール」において論じられる類の良さを感じた。会場も宿も大町という土地の市民会館と温泉宿だった。風景のよいところだった。雪をかぶった山が遠くに見えたが、あんまり明瞭に見えるので距離感が多少くるった。海抜3メートルくらいかの海岸で育った私には空気が多少薄いような気もした。味のよい空気ではあった。ジャンクフードに倦んだ頃合いに冷たい真水を飲んだような気分がした。陽光の質も違うように思った。長崎の夏の陽光は相撲取りの突っ張りのように圧倒的な量感で上から叩き伏せてくるが、この土地の冬の光は空手家の一撃のように鋭く突き抜けてゆく。エンディングで「風呂入れよ!」と加藤茶に言われたわけではないが、雪の中の露天風呂というのに初めて入った。髪に雪が積もり、おそらく一部は凍ったのだろう、なんだかしゃりしゃりする感じがした。それを野趣というのか野蛮というのかよくわからない。まあ何事も経験だろうとは思う。一度二度なら楽しみのうちだ。住んでみようとはなかなか思わない。私には水が自然界に固体で存在できるような土地での生活など耐え難い。まして自分の身体が氷結するなど論外だ。この学会は毎年この時期にこの土地で行われているのだが(なんで2月に長野なんだよ)、数百人の団体が2泊3日でやってきて学会をし宿泊していくので、地元にとっては経済的にかなり大きなイベントになっているらしかった。至る所に歓迎ののぼりが立ち、懇親会には市長さんが挨拶に来ていた。政治家のスピーチというのを初めて聞いた。歓迎のメッセージを送って地元の紹介をしてと、通り一遍なような熱の籠もったような内容ではあった。どうせ詰まらんことを言うのだろうと高をくくっていたが、聞かされてみると上手いものだなと感心させられた。やっぱりああいうのは市役所に一人二人くらい作文の上手い人がいるのでしょうかね。そのスピーチに、例によって、市民病院の内科医が二人辞めて困っているから誰か赴任してくれないかという話も出た。いやここに居る医者はほぼ全員が小児科ですしと思ったけれど、さすがにそんな残酷な突っ込みを面と向かってする人は居なかったようだ。私は数百人の背後で末席に謙遜していたから詳細はわからない。ただ市長さんが仰らなかったこととして、日本の周産期医療の発展に当市がいささかなりともお役に立てているようで光栄ですとか仰ってみればよかったかもと思った。そういう無形の貢献をしているのだよという誇りを持っていただいていいのじゃないか、いや願い出てでもそういう誇りを持っていただくべきなのではないかと、京都府民の私は思うのであった。そういうことは言わぬが花なのでしょうかね。いや、当地の北の方には、優れた研修システムをもってたくさんの優れた医師を輩出していた市民病院内科を、なんで一自治体がそこまで云々と言って潰した愚かな自治体がありましてね。今はみごとに地域医療が崩壊して喘いでますけど。金の卵を産む鵞鳥の、腹の中にはもっと大量の金が入ってるんだろうと思って殺して開腹してみたという愚かさの上をいく、えさ代がもったいなくて餓死させた、というお粗末きわまる愚かさ。他所の市ではあるけれど、府民として忸怩たる思い、というのが無いこともなくて。