さて、今日は幼馴染オッサン10人衆にひな坊の現状を話したことを書いてみよう。
予備知識として昭和の二宮金次郎とこ、意外と苦労人ト ッ トの幼少時代のこと。
大阪府枚方市に生まれる。
物心が付き友達が出来始めたころに父親がいきなり会社を辞めて帰ってくる。
奈良に移住し、なにを思ったか親父が雀荘をはじめる。
その雀荘がまた柄の悪い店で万単位の現金がガンガン飛び交う。
店の片隅には現金が出てくるゲーム機。いわゆる賭博ゲーム機がおいてあった。
その人たちにコーヒーやジュースなどを運んだりして手伝いをする幼稚園児。
「おっ!ボウズ!おおきに!これ小遣いや!」といって千円・一万円をくれる客。
うっすらとした記憶だがお金の使い道が今みたいにDSやPSPなどのゲームの類は無い時代。
使うとするならば隣の喫茶店で一杯300円のミックスジュースを飲みながら
1ゲーム50円の「インベーダー」や「パックマン」をするぐらいのもので子供が
そんな大金を使いきれるわけもなく貯まったお金は小学校二年生で40万ほどあった。
幼稚園児が一人で喫茶店にいくなんか今の時代では考えられないだろう・・・
あっそうそう、このお店の場所と住んでいる場所が離れていたのでほとんどの時間を
店の奥の四畳半の部屋で過ごしたのだがこの話をひなママにしたとき顔が青ざめたというか
口から胃が出そうになった。この店とひなママの実家は歩いて数分で行ける距離にある。
いつもお父さんに手をひかれた女の子が来てミックスジュースを飲んでるのを鮮明に記憶していた。
週に3・4回は来てたような気がする。一言も話すことなくおとなしくジュースを飲む女の子。
そのおとなしさと静かさがかえって滑稽で今でもその光景をハッキリ覚えている。
ひなママはひなママでいつも一人でゲームをしながらジュースを飲む危ない男の子がいたのを
鮮明に記憶していた。
何枚もの50円玉をゲーム機の上に乗せて遊んでいる幼稚園児はさすがに記憶に残るだろう。
たしかに危ないといえば危ない。怪しい香りがプンプン漂ってたというのも納得できる。
ひなママとト ッ トは同い年。
人生どこでどう繋がってるかわからない。
麻雀牌のかき回す音とタバコの煙に巻かれながら寝る。
夜の仕事なので朝起きると親父は寝ている、オカンはすでにパートにでたあと。
ご飯といえば隣の喫茶店のナポリタンかサンドイッチ、もしくはインスタント物。
姉にお湯を沸かしてもらい自分達で作って食べる。
当時、「ちび六」というインスタントラーメンがチキンラーメンと勢力を二分していた。
一袋に6個の小さい乾麺が入っておりお腹のすき具合で個数を決めるという画期的な物で
僕と姉で「ちび三」ずつ食べていたことを良く覚えている。
合計ちび二千ぐらいは食べたであろうか。
ほとんど親と過ごす時間はない上に食育という概念はさっぱり無い。
「どうぞグレて下さい」といわんばかりの環境であった。
そんな環境のまま小学校に上がる。
かっこ悪い話だが小学校に入学したてのころ足し算引き算はおろか
自分の名前すら書くことができなかった。
時代がそうだったのかたいして恥ずかしくも無かった。
結局、高校、専門学校を卒業するまで学習机というものを買ってもらっていない。
たいして勉強もしなかったがするとするならばコタツかちゃぶ台だった。
月日が流れ小学生の頃に幼馴染オッサン10人衆と出会う。
僕を入れて10人なので9人と出会う。
軽くメンバー紹介をしておこうか。長くなるか。まぁええか。
興味のある人だけお付き合いいただこう。
(仮名)
シェーン
責任感が強くみんなのまとめ役。彼がいないと成立しないことが多い。
大阪市交通局勤務。
ムー
ムードメーカー。声がでかい。優しすぎるがゆえに未だ独身。
電気工事会社経営。
ローマ
サーフィンバカ。とにかく海が好き。ワタクシもサーフィンをするがゆえに
彼と過ごした時間が一番長いかもしれない。数十人の社員を抱える不動産会社経営。
キッキ
ダイナミックかつ繊細な酒豪。29歳の時に痛風発症(笑
ビールは呑みたいけど呑めない。大阪市区役所勤務。
モンモン
ウルトラパチンカー。要領のよさは仲間内で群を抜いている。
電動器具部品販売主任。
イックン
スリムなあんちくしょう。嫁さんごっつベッピン。
化粧品・美容用品販売会社経営。
クーガ
器用な小さいおっさん。。喫茶店を経営しているのだがその内装を
全部自分でしてしまった。
自分が結成したバンド活動をするかたわらプロのバンドのドラムする。
ローヒ
ウルトラパチンカー。いまだバンド活動中。クーガのバンド仲間。ウッドベース担当。
トラック野郎。
スーヤ
革パン野郎。双子の兄貴。ガス屋勤務。
トット
おなじみ。どこでどうなったか整体師。左利き。
この10人は性格はバラバラだが1つだけ共通点があった。
親との関わりが極端に無い。
夜の仕事でほとんど家に親がいなかったり
片親で仕事に忙しく会う時間がなかったり
親父が酒乱で暴力を受けるので家に居たくない奴がいてたり
なかには借金まみれの家もあったのかもしれない
大富豪であるがゆえにお金でなんでも解決する親だったり
などそれぞれ理由は違うが家に居てなくても怒られるわけでもなく
探されるわけでもなく家に居ていい子にしてても褒められるわけでもなく。
いつもこの10人で誰かの家にタムロしたり
ゲームセンターにいたりわけもなく酒屋の駐車場で
タカラ缶チューハイで酒盛りしてたり。
門限などあるわけもなく毎晩9時・10時。
これが小学生。
そのまま中学校にあがるのだが、時代がそうだったのか地域的なものなのか
とにかく普通の学校ではなかった。
バイクで通学する奴はおるわ学生服ではなく革ジャンで来るわ
髪の毛は赤・黄・緑・モヒカンの奴だらけやわ
廊下はバイクが走るわ授業中は半分ぐらい教室にいてないわ
窓ガラスわれまくってるわ非常階段に灰皿置いてあるわ
ラリッて来るわカバンに鎖入れて武器にしてる奴おるわそんな中学校だったので
この10人がどうなったかはご想像にお任せするとしよう。
んー長くなりそう。
二つに割らせてください。
ワシってひな坊より集中力ないかもしれぬ。