間接的な非難は定型発達者を傷つける

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Nice!

定型発達者である夫は普段大変温厚であるが、たまに切れて、私を怯えさせる。
きっかけは、アスペルガー症候群である私の気配りに欠けた言動だと思う。

問題は、アスペルガー症候群者が気配りに欠けているという自覚なく、定型発達者の気分を害する言動を取ってしまうことだ。
だから私は同じ言動を繰り返し、そのたびに夫に怒られる。
切れた夫を見るのは心臓に悪いので、何とか気配りを身に着けたい。

正月には、こんなことがあった。

鍋をやった。
いつものように、夫が私の分をよそってくれた。

夫には、気配りの天性の素質があるのだろうと思う。
いつも私の行動を先回りしていろいろしてくれる。

食べ始めて、しいたけが入っていないことに気付いた。
鍋の具は均等によそうことを常に心がけている私からすれば、気配りのできる夫にしては非常に勿体ないことのように思われた。

そこで私は、

「しいたけがない」

と言った。

夫は大層気分を害した。

何故夫が気分を害したのか私にはさっぱり理解できず、意味不明に怒った夫に恐怖した。
ここで夫に怯える必要は全くないのだが、何しろ理解不能なものだから、いつも怯えてしまう。
結婚生活もこれまでかと、いつも思いつめてしまうのだ。

今回は怒った理由についてしつこく食い下がったので、定型発達者の怒りのしくみをようやく理解した。

「しいたけがない」

という言葉には、よそった夫に対する感謝の気持ちが微塵もない。
それどころか、よそった夫に対する非難の意味が含まれている。

「しいたけがない。よそって」

ならば、直接的な非難であるので、夫は次に何をしたらよいか分かる。
気付いた私が自分でよそうのが一番いいらしいが、よそうように頼まれれば素直によそうそうだ。

しかし、

「しいたけがない」

というだけでは、間接的な非難の意味しか無い。
夫は次に何をしたらよいか分からず、非難の意味だけを受け止めて、気分を害することになる。
そういうことらしい。

言った私は、非難の意味など含ませたつもりはなかったので、驚いた。
しいたけがないという事実を指摘することによって、

「よそってくれたらより嬉しかったのだけど」

くらいの軽い気持ちで言った言葉だった。

ところが、定型発達者は、そうは受け取らない。
間接的な非難だと受け取り、ストレスを溜めてしまうのだ。

私は鍋を食べるとき、心からの感謝の気持ちをもって、しかし今思えば表情や言葉で感謝の気持ちを表現することなく、食べ始めた。
家で気を抜いているときには、感謝の気持ちを表わすことをつい忘れてしまう。
アスペルガー症候群者にとって、そうした感情表現は自然と出来るものではないのだが、感情表現を怠ると、定型発達者の気持ちを害することになってしまう。

私は鍋をよそってくれた夫に対して、まず「ありがとう」と言うべきであった。
この一言があるかないかで、定型発達者の機嫌は大分変わる。

これからは感謝の気持ちを表わすよう気を付けると夫に宣言したが、夫は懐疑的であるようだった。
これまでの実績を考えれば、致し方ないだろう。
外でならともかく、何分リラックスした家庭内の出来事であるので、またやってしまいそうな予感がひしひしとする。

ちょうどアスペルガーライフblogの狸穴猫さんの記事の中で、定型発達者の「感情指向」に配慮した会話の方法が提案されていた。
自戒を込めて、引用させていただく。

(定型発達者に感情や気遣いを示すのは、)実は簡単である。
機会を狙って次のセリフを過剰と思うくらい多用すればいい。

1 「ありがとう」
2 「うれしい」
3 「楽しい」
4 「大丈夫?」
5 「大変(だ)ね」
6 「恐れ入ります」
7 「お手数おかけします」
8 「おかげさまで」
9 「ごめんなさい」
10「申し訳ありません」

とにかく機会を鵜の目鷹の目で狙いまくって言いまくる。
ちょっと過剰かと思うくらいで十分だ。