よくある悲しみに思う

18
Nice!

年明け早々、重い記事になりますが・・・

年末に遠い親戚の方が仕事中の事故で亡くなった。

私たち夫婦と同い年。

のび太と同じくらいのお子さん3人を残し、突然、逝ってしまった。

瀕死状態で発見されたとき、
彼は奥さんと子供たちの名前をつぶやき、
指導しているスポーツ少年団のことをつぶやき、
意識を失ったそうだ。

私は今、ここにこうしていることの方が奇跡だと思っている。

この世に生を受けることの方が、稀な事だと思っている。

だから、今、こんな私を嫁にしてくれた旦那がいて、
欲しくて欲しくてやっと授かったのび太がいてくれることに、
本当に感謝している。

旦那が葬儀から帰ってきて、

「こういう葬儀は切なくてたまらない」と、ポツリ。

残された者はどんなに辛くても、生きてゆかなければいけない。

生活していくには、グズグズ泣いてばかりもいられない。

食欲もなくなるときもあるし眠れない日もあるだろうけど、
そのうち、おなかもすくし、眠くもなる。

笑顔も出ないこともあるだろうけど、
おかしいことがあれば笑いもするのだ。

ちょうどその頃、ドラマ「金八先生」で、
生徒の父親が急逝してしまうシーンがあった。

そこで、その生徒に金八先生が、

「こんなことはよくあること。特別じゃない。
 悲しいけれど、この程度の悲しみならばよくあること。
 自分だけがかわいそうなんて思うな。
 ちゃんとたくさん泣いてお別れをしなさい。」

・・・と言った内容のせりふを言う。

一瞬、冷たく突き放したような言葉にも思えるけど、
なんて、当たり前で、なんて、前向きな言葉なんだろうと
胸が熱くなった。

生を受けて生きることは稀かも知れないが、
生を受けたものは、必ず死ぬのだ。

死なないものはいない。

先に逝く側にもなりえるし、残される側にもなりえる。

そんなことばかりを考えて生きているわけでもないけど、
そんなこともあることを、覚悟して生きていこうとも思う。

せめて生きづらさを抱えるのび太に、
たくさんのものを残したい。

視覚優位ののび太ではあるけれど、
目に見えないけど大切なものをたくさん伝えたい。

目で確かめられるものはこの世にあふれているけれど、
形ないものの大切さをのび太に伝えられるのは、
やっぱり親である私たちだと思う。

そのためには、そう簡単に逝くわけにはいかないけど。

覚悟しつつも、明日を信じるしかない。