年明け早々、重い記事になりますが・・・
年末に遠い親戚の方が仕事中の事故で亡くなった。
私たち夫婦と同い年。
のび太と同じくらいのお子さん3人を残し、突然、逝ってしまった。
瀕死状態で発見されたとき、
彼は奥さんと子供たちの名前をつぶやき、
指導しているスポーツ少年団のことをつぶやき、
意識を失ったそうだ。
私は今、ここにこうしていることの方が奇跡だと思っている。
この世に生を受けることの方が、稀な事だと思っている。
だから、今、こんな私を嫁にしてくれた旦那がいて、
欲しくて欲しくてやっと授かったのび太がいてくれることに、
本当に感謝している。
旦那が葬儀から帰ってきて、
「こういう葬儀は切なくてたまらない」と、ポツリ。
残された者はどんなに辛くても、生きてゆかなければいけない。
生活していくには、グズグズ泣いてばかりもいられない。
食欲もなくなるときもあるし眠れない日もあるだろうけど、
そのうち、おなかもすくし、眠くもなる。
笑顔も出ないこともあるだろうけど、
おかしいことがあれば笑いもするのだ。
ちょうどその頃、ドラマ「金八先生」で、
生徒の父親が急逝してしまうシーンがあった。
そこで、その生徒に金八先生が、
「こんなことはよくあること。特別じゃない。
悲しいけれど、この程度の悲しみならばよくあること。
自分だけがかわいそうなんて思うな。
ちゃんとたくさん泣いてお別れをしなさい。」
・・・と言った内容のせりふを言う。
一瞬、冷たく突き放したような言葉にも思えるけど、
なんて、当たり前で、なんて、前向きな言葉なんだろうと
胸が熱くなった。
生を受けて生きることは稀かも知れないが、
生を受けたものは、必ず死ぬのだ。
死なないものはいない。
先に逝く側にもなりえるし、残される側にもなりえる。
そんなことばかりを考えて生きているわけでもないけど、
そんなこともあることを、覚悟して生きていこうとも思う。
せめて生きづらさを抱えるのび太に、
たくさんのものを残したい。
視覚優位ののび太ではあるけれど、
目に見えないけど大切なものをたくさん伝えたい。
目で確かめられるものはこの世にあふれているけれど、
形ないものの大切さをのび太に伝えられるのは、
やっぱり親である私たちだと思う。
そのためには、そう簡単に逝くわけにはいかないけど。
覚悟しつつも、明日を信じるしかない。