覚えられない仕事

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Nice!

仕事の引き継ぎを書いたときには気付かなかったけど、私がついに覚えられなかった仕事がある。
雑務である。
具体的に言えば、職場の備品を管理し発注したり、水場のゴミ箱を買ったり、ゴミをゴミ捨て場に持っていったり、布巾を漂白したり等である。

覚えられなかったのには、私なりの理由がある。

私が職場に入った当初は、私の他に雑務をやってくれている人がいたのだ。
その人がいなくなってからも、私の頭の中には、雑務は私のやるべき仕事として認識されなかった。
散らかる一方の水場を見ても、ただ汚いと思うだけで、私が掃除すべきだという発想にはならなかった。
職場の所有主である、社長であり唯一の上司である人の管理の仕方がなっていないんだろうと思っていた。
だいたい、ゴミの分別もなっていなかったし、ゴミ出しもしない状態でゴミは放置されていた。
だらしない人だと思っていた。

そこは職場の共有の場所であり、しかも使っているのは私と、上司だけであるという状態のときもあった。
立場の低い私が掃除すべきだと上司は思っていて、上司はずっとそのことを不満に思っていたことを、今日初めて知った。

知ったのは、今日怒られたついでに、過去の私の振るまいについての文句を言われたからだ。

ちなみに今日怒られたのは、会社の備品であるお茶についてである。

入社最初に、お茶は自由に飲んで良いと言われて、私はそれを言葉通りに受け取っていた。
仕事の合間に、会社のお茶を頂いていた。

そうして、もう1年が過ぎた今日、上司が言った。

「会社のお茶はお昼休みだけしか飲んではいけない。仕事中に飲みたければ、自分で持ってきなさい。常識で考えれば分かるだろう」

私にとっては寝耳に水の状態だったので、流す余裕もなく押し黙ってしまった。
そんなルールは、言われないと分からない。
そもそも自由に飲んで良いと聞いていたと、少なくとも私は思い込んでいた。
それが、お昼休み限定のことだなんて、思ってもみなかった。

お茶がだめならお湯はどうなんだろうと、考え込んでしまった。
お湯を飲んでから、後で文句を言われてはたまらない。
そう思って、

「お湯は飲んでもいいのでしょうか」

と尋ねた。

上司は激怒した。

「そんなことも言わないといけないのか」
「頭を冷やせ」
「だいたい貴方は、以前から常識が足りない」
「何様だと思っているんだ」
「黙って謝って誠意を見せるべきなのに、貴方はプライドばかり高くてかなわない」
「職場への気配りがあれば当然やるはずの雑用すらやらないところに、貴方の人間性が表れている」

とりあえず、一通りの文句は聞いた。
文句はまともに聞いていたら仕事にならなそうだったので、とりあえずいろいろ言う上司は無視してひたすらパソコンに向かって仕事を進めたが、耳には入ってきた。

私はしばらく涙をぽろぽろこぼしながら、仕事をしていた。
怒られた理由もしばらく分からなかった。
正直言うと、今でも分からないが、私が言った言葉が言うべき言葉ではなかったことだけは理解した。

最後には、謝った。
謝ったのはお茶の件についてだけであり、私がやらないできた雑務については触れなかった。

悪いことをしたとは微塵も思っていないので、謝るのは非常に抵抗があったが、残り少ない職場生活を円満に過ごすためには、そうした方がよいという結論に至ったのだった。
私にしてみれば、上司の意思表示が曖昧(私がお茶を飲んでいることを上司はずっと知っていたはずなのに、今までは何も言わなかった)だったことがそもそもの原因であるように思われるのだけど、真実がどうかなんて、職場の円満のためには関係ないのだ。

上司は、私がアスペルガー症候群だとカミングアウトした時、全然気にしないと言っていた。
その意味は、アスペルガー症候群についての理解をする努力を上司がする手間暇をかけたくないと判断したということだったのだと思った。
私が雑用などについて気配りがなっていなかったら、アスペルガーというキーワードを元にどうしてそうなったのかを考えることはせず、一方的に私の振るまいに我慢を続ける。
きっかけがあれば文句が爆発する。
私の人間性を疑う言葉を上司に言われて私がどう思うかについては、上司は関与しない。
そういうことだったのだ。
口では理解する素振りを見せながら、本当は全然理解していなかった。

上司に理解を求めようなどと考えるのが、そもそも間違っていた。
注意するときにキツイ言葉は避けるくらいの配慮を、無意識に期待していたらしい。
期待していた分、予想外のダメージを受けた。

私が愚かだった。

同じ人間と思ってはいけなかった。
上司のことは、機械であると認識すればよかった。
機械には何を言われても傷つかないし、所詮機械だから思考回路が違うのも仕方ない。
時折矛盾したことを言うのは、機械が壊れたのだろう。
折を見て、雑務という名のメンテナンスをしなければならない。
手間の掛かる機械だ。

もし私に雑用をやらせたいなら、上司のように無意識に期待するのでは駄目だ。
無意識に期待した上、できなかったら静かに私への評価を下げていき、きっかけがあれば怒りちらすようなやり方は、アスペルガー症候群にとっては最悪だ。
業務内容と同じように紙に書き出しておいてもらわないと、できない。
もし本当に雑務をやって欲しいなら、

「そんなこと言わなくても分かるだろう」

ということこそ、業務としてしっかり教えて頂かないことには、そもそもそれが私のやるべき仕事であるということに気付かない。
ましてや今の状態は、仕事中に雑務をしようとすると、

「仕事を優先させろ」

と怒られるような状態なので、ますます混乱する。
何が本当にやるべきことなのか分からなくて、上司に尋ねると常識で考えろという。
何のためにカミングアウトしたのか、全くもって分からない。

要するに、上司の機嫌を損ねることなく上司の意向に添うためには、お昼休みや勤務時間外に、黙って会社の雑務をしなければならないということなのだ。
これまでも溜まったゴミをシュレッダーにかけたり、気付いたことは勤務時間外にしてきたつもりだし、他の人がゴミ出ししていることに気付いてからは、私もやるようにした。
上司は私がやってこなかったことを見て、やってきたことについては見ていないのだろう。
上司の要求水準に比べれば、私のしてきた雑務の量など僅かだし、仕方がない。

しかしこういうことがあると、今までやってきたことが何もかも無駄に思えてきて、やる気が削がれる。

定型との溝は深いと、つくづく思った一日だった。
最も、もっと多くの良心的な定型なら、機械よりはましな対応をするだろう。