お待たせしました第5回です。
<幼児期の療育の必要性を考える その4>
今回は母子アスペのケースについて「療育」の必要性を考えてみる。
このブログのプロフィールを見てもらえばおわかりの通り、我が家は息子と私のことを考えただけでも典型的な母子アスペである。
さて、息子が小さい頃のことを思い起こすと、ちょっと周囲とはなじみにくいかなと思うものの、幼稚園時代を何事もなく過ごし、小学校へと入学した。
ことばはかなり遅かったものの、幼児期、学齢期初期(小学校低学年まで)にとりたてて問題となるような行動はなかったのだ。
常同行動やアスペ特有のこだわりも、今思うになかったとは言えないが(ミチャポン程度はこだわりがあった)、私にとってさして不自然に思えなかったので、特に気にならなかった。
また、私がする行動・対応・説明や環境が息子にとってはいたってわかりやすかったのだろうか、パニックを起こすことも少なく(ないとは言えないが、それは元夫のDVがらみなので特殊ケースであるのでここでは論じない)非常におちついていた。(かんしゃくなどはミチャポンの方がずっと激しい…)
もしも当時息子がアスペルガーであることがわかっていたら今あるような「療育」を必要としたろうか?と考えると、私は否定的にならざるを得ない。
「かんたんにはパニックを起こさず」、「がまんすべきところはがまんでき」、「人の話をある程度きくことができる」ことに問題がない以上、そのための療育を受けることは本人にとってメリットがあろうわけもない。
私の側から考えてもやはり療育のメリットはない。障害の受容に関して、何らの感情的な抵抗もなく、定型の親御さんと共感できるわけもなくというのであれば、あとは療育の知識であるが、これとて障害特性上感情の入り込む余地がないので書籍で十分である。
となると、当時診断がつき、「療育というもの」が受けられる環境があったとしても、療育は受ける必要がないと判断し、受けなかっただろうと思うのだ。
話を一般的なものに戻す。
よそ様のブログで親子アスペ(特に母子アスペ)の例を読むことがある。
そこにあるのはやはり比較的安定した姿が多いようである。
特に幼児期にあまり問題を感じない例は多い。
(違和感ないので発見が遅れるということすらあるくらい…うちもか(爆))
生活の構造化などは母親がアスペルガー者である場合、ごく当たり前にやっている事も多いだろう。それはそうでなくては生活が成り立たないことによる生活の知恵であるが、それだけで十分療育的なことも多いだろう。
それで子供の状態が安定している場合、なにも限定性の強い公的あるいは民間の「療育(システム)」をわざわざ利用する必要などないのではないのかと思うのだ。
しかしそれは療育そのものを無用のものとして捨てるというのではない。さらに進んだ療育に家庭で取り組んだ方がいいということに過ぎないと思う。
なにせ幼児期から学童期にかけて、子供には集団生活と集団学習という難物がひかえているのだから。その準備をしておくに越したことはないだろう。
勿論、子供の状態が安定していない場合、また、親の状態が安定していない場合は、「療育」を利用するのも一手だ。
特に子育て期にはアスペ親の側が疲れきってしまうことは十分あり得る。親の側のパニック解消・防止に「療育」の知恵、「療育」という時間が役立つことも十分あり得るのだ。ただ、それは子供の療育の問題というよりは、成人アスペルガーのライフサポートの部分に含まれるものだろうからここで深く突っ込むことはやめておく。
さて、しつこく4回も幼児期の療育の必要性について考えてきたわけであるが、これといって結論はない。強いて言うなら、現在の療育スタイルはTEACCH式の構造化主体なので、それを学ぶことによって子育てが楽になる例は多いだろうということくらいか。
私はTEACCH信奉者ではないがTEACCHの構造化のテクニックは学ぶべきところが多いと思う。
<おまけ>
ミチャポンがクロと出たら、一度「療育」に突っ込んでみたいんだよねえ…って、実は私が療育の現場を見てみたいだけ…かも。
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さて、次は療育の目標について考えてみることにする。
話が穏やかななのは今回まで…かもしれない。
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